土井利往
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土井 利往(どい としゆき、宝暦4年(1754年) - 没年不明)は、江戸時代後期の幕臣、有職故実家。通称は定次郎、主税[1]。
『寛政重修諸家譜』において実名は「利徃」の字体で記されている[1][2][注釈 1]。
生涯
[編集]400石[注釈 2]の旗本・土井利意(のちに新番組頭)の子として生まれる。明和8年(1771年)3月25日、徳川家治に御目見[1]。安永7年(1778年)7月19日より西の丸御書院番士、寛政2年(1790年)4月2日より本丸勤務[1]。この年正月27日に父が没しており[1]、5月4日に相続が認められる[1]。
日置流弓術に優れ[3]、射術や「水馬の術」をしばしば将軍に披露して時服や黄金を与えられている[1]。伊勢流中興の祖・伊勢貞丈の孫である伊勢貞春から伊勢流武家故実を学び[3]、多くの書を著した。
著作
[編集]- 『今川家射儀抄』
- 『馬並馬具之図』
- 『刀脇差名品』
- 『弓術或問』
- 『弓制書弓袋之式』
- 『極秘古伝小笠原流註解』
- 『故実秘抄』
- 『故実目安』
- 『差矢問答』
- 『武射器制』
- 『矢羽文考追考』
- 『弓矢進退記』
系譜
[編集]利往の家は、徳川秀忠の乳母であった初台局(柴山氏。土井昌勝[注釈 3]の妻)所縁の家である[8]。正勝と初台局の娘である梅園局[注釈 4]を娶って婿養子となった吉次は、名字を柴山に改めた。吉次の子である柴山正信の死後、500石の知行は長男の正次(300石)と二男の利朝(200石)に分割された。利往の家は利朝の系統で、利往の祖父にあたる利道の代に名字を土井に復している[8][注釈 5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『寛政重修諸家譜』巻第二百九十八「土井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.622。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二百九十八「土井」、国立公文書館蔵『寛政重修諸家譜』原本 62/66コマ。
- ^ a b 屋代弘賢著『古今要覧稿』第二、国書刊行会、1906年、p.248
- ^ 石岡久夫『兵法者の生活』第六章.幕末兵法武道家の生涯 三.窪田清音の業績、雄山閣、1981年、p.221-229。
- ^ 笹間良彦著『日本甲冑大鑑』五月書房、1987年、p.1129
- ^ 吉川準 編『松原佐久翁』1910年
- ^ “地名の由来”. 2024年10月25日閲覧。
- ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第二百九十八「土井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.619。