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国際美術教育協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国際美術教育協会(こくさいびじゅつきょういくきょうかい)または国際美術教育学会(こくさいびじゅつきょういくがっかい)[注 1](英称:International Society for Education through Art、略称InSEA)とは、文化教育、美術教育、芸術研究を推進するために1951年国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の諮問機関として設立された組織である。協会本部はヴィゼウポルトガル)にある。

歴史

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国際美術教育協会は、1951年7月にイギリスブリストルで開催された美術教育に関する第二次世界大戦後初めてのユネスコ・セミナーにおいて設立された。セミナーの初回のテーマは「普通教育における美術による教育」[1]で、この時の参加国は20か国であった。

1954年7月の第1回総会において憲章が制定され、初代会長にエドウィン・ジーグフェルド(Edwin Ziegfeld)(アメリカ[1]が就任した。

1963年には条約に基づき、ユネスコの諮問機関となった。同年、第二次世界大戦以前から存続していた国際美術教育連盟(1904年スイスベルンにて発足。本部はパリフランス)に所在。仏名:Federation intemationale pour l'Education Artistique, 英名: lntemationaI Federation for Art Education,Drawing and Art Applied to lndustries、略称 FEA)と合併、第4回カナダモントリオールでInSEAとFEAとの合同開催となった[1]。以後3年に1回のペースで国際会議が催されることになった。

2006年には、InSEAが国際音楽教育協会(ISME : International Society for Music Education)、国際演劇教育協会(IDEA : International Drama/Theatre and Education Association)、ワールド・ダンス・アライアンス(WDA : World Dance Alliance)と合同で世界芸術教育連盟(WAAE : World Alliance for Arts Education)を結成し、国際的な芸術教育全般をつかさどる組織として始動した[2]

協会の活動

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国際美術教育協会は、3年に1回の国際会議ならびに地方会議において、研究発表、情報交換・交流を通じて美術・工芸に関する創造的教育の促進と振興を図ることを目的としている[1]。また、InSEAの国際会議における活動報告をまとめた研究誌や、年3回(3月、7月、11月)発行される会誌(International Journal of Education Through Art)などを協会会員に頒布している。

地域・評議会

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InSEAの加盟国は以下の6つの地域に分けられており、世界評議会において、それぞれの地域から本部の評議員が3名ずつ選出される[3]
1.アジア地域(東南アジアを除く)
2.中東・アフリカ
3.ヨーロッパ
4.中南米
5.北アメリカ
6.東南アジア・オセアニア

さらにInSEAにはアジア(ARC:Asia Regional Council)とヨーロッパ(ERC:Europe Regional Council)の独立した地域評議会が設けられている。

地域評議会の目的は次の3つ(InSEAが定める地域評議会の細則に従う)
1.地域の美術教育を推進するための研究と実践に協力。
2.地域の国々における国際的な活動やネットワークに関して、InSEAの一員として行動する。
3.地域全体を通して国家の美術教育機関と他のInSEA関連組織との間の国際関係を強化する。

国際会議

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以下にInSEAを主催とした国際会議の開催地とテーマを列記する[1][4]。回数表示はFEAの国際会議を含めた通しの回としている[注 2][注 3]

地域大会

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国際大会の開催年を除き、前述の6つの地域のいずれかにおいて開催される。

歴代会長

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  • エドウィン・ジーグフェルドドイツ語版(アメリカ)(1954年 - 1960年)
  • チャールス・ゲイッケル(カナダ)(1960年 - 1963年)
  • J・A・ゾイカ(ドイツ)(1963年 - 1966年)
  • 倉田三郎(日本)(1966年 - 1969年)
  • エレノア・ヒップウェル (イギリス)(1969年 - 1973年)
  • エイミー・ハンバート(フランス)(1973年 - 1976年)
  • アル・ホーウィッツ(アメリカ)(1976年 - 1979年)
  • ジャック・コンダス(オーストラリア)(1979年 - 1982年)
  • ブライアン・アリソン(イギリス)(1982年 - 1985年)
  • マリー=フラソワーズ・シャヴァンヌ(フランス)(1985年 - 1988年)
  • エリオット・アイズナー英語版(アメリカ)(1988年 - 1991年)
  • アナ・メイ・バルボーザスペイン語版(ブラジル)(1991年 - 1993年)
  • ジョン・ステアーズ(イギリス)(1993年 - 1996年)
  • キット・グラウアー(カナダ)(1996年 - 1999年)
  • ディーデリク・シェーナウ(オランダ)(1999年 - 2002年)
  • ダグラス・G・ボートン (オーストラリア)(2003年 - 2005年)
  • 郭禎祥(アン・クォ)(台湾)(2006年 - 2008年)
  • リタ・L・アーウィン(カナダ)(2008年 - 2011年、2011年 - 2014年)
  • テレサ・トレス・デ・エサ(ポルトガル)(2014年 - 2019年)
  • グレン・クーツ (イギリス)(2019年 - )

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本では文献により、それぞれ異なる訳語が使われているが、公益財団法人 日本美術教育連合では前者を正式な訳語として用いる[1]
  2. ^ 1964年より前の大会の回数に添え書きした数字はInSEAにとっての回数を示す。したがって第15回以前は正式なものではなく、便宜上時系列としての回数表記と位置づける[1]
  3. ^ ちなみにFEAによる国際会議は次の通りになっている。1900年1925年1937年パリ(フランス)、1904年ベルン(スイス)、1908年ロンドン(イギリス)、1912年ドレスデンドイツ)、1928年プラハ(チェコスロバキア)、1935年ブリュッセルベルギー)、1955年ルンドスウェーデン)、1958年バーゼル(スイス)、1962年ベルリン(ドイツ)[5]
  4. ^ FEA委員会主催によるものであるため、InSEAの公式記録には入っていない[1]
  5. ^ 同上[1]
  6. ^ 同年のユネスコの国際美術教育会議(リスボン(ポルトガル))を前提とした会議のため欠回扱い[4]
  7. ^ 大会会長に平山郁夫が就任[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i INSEAの歴史と展望 - 兵庫教育大学HP
  2. ^ Our history - WAAE HP
  3. ^ Regional Council - InSEA HP
  4. ^ a b InSEA Congresses InSEA HP
  5. ^ a b InSEA: Past, Present and Future
  6. ^ InSEAとは - 公益財団法人 日本美術教育連合HP。
  7. ^ 第17回国際美術教育会議開催 - 東京文化財研究所HP
  8. ^ 中原直人「「InSEA(国際美術教育学会)世界大会 2008 in 大阪」参加の報告」『山野研究紀要』第17巻、学校法人 山野学苑 山野美容芸術短期大学、2009年、68-76頁、doi:10.24714/yca.17.0_68ISSN 0919-6323NAID 130007743188 
  9. ^ 2007年度JAM活動報告
  10. ^ 公益社団法人 日本美術教育連合ニュース No.166 2022.9
  11. ^ a b c past congresses - insea europe

外部リンク

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