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国鉄DT20形台車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真は改良型のDT20A。西武鉄道E31形電気機関車に転用時に砂箱が追加された。

国鉄DT20形台車(こくてつDT20がただいしゃ)は、日本国有鉄道が開発した鉄道車両台車の一形式である。

概説

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吊り掛け駆動方式に対応する、国鉄最後の制式電車用台車として1953年に設計され、1954(昭和29)年度予算で製造された80系200番台車から採用された。

構造

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軸箱上部に天秤状の釣り合い梁を設け、その両端から下方にコイルばねをそれぞれ置いて軸ばねとする、上天秤式と呼ばれる軸箱支持機構を採用する。

これは当時住友金属工業が自社製台車に採用し、ゲルリッツ(Görlitz)と称していた軸箱支持機構(下記参照)の亜種である。同時期に開発されていたキハ44000形電気式気動車用のDT18汽車製造の開発した下天秤式軸箱支持機構を採用したのと合わせ、当時の国鉄が、台車メーカー各社で開発が進んでいた最新の軸箱支持機構のエッセンスを取捨選択の上で導入したものであった。

本形式においては、軸ばねは側枠上部から吊り下げられた鋼棒[1]と、ばねの下端部に設けた支持座で防振ゴムを介して結合され、ナットで締め付けている。これは通常の軸ばね式台車と比較して複雑な構造であるが、検査などの際にはこれらの固定用ボルトを外すことで容易に車輪抜きが可能であった。

また、ボルスター部はDT17の設計を踏襲し、2列のコイルばねと衝動減衰を目的とするオイルダンパで構成される枕ばね部を持つ、スウィングリンク式の揺れ枕機構を備える。

本形式はその計画・設計段階では、車体シリンダー式の古いブレーキ機構を備える、旧形国電と俗称される旧式の電車で汎用[2]されることを目的としたものである。このため、上揺れ枕の上面には中央の心皿の左右に設けられた側受(サイドベアラー)が、通常の位置だけではなく、より内側の初期鋼製車に対応する位置にも取り付け可能[3]となっていた。

側枠はDT18で初採用された、大型の鋼板プレス成型部品を最中のように2枚貼り合わせて溶接組み立てした軽量モノコック構造で、各部に肉抜き穴も設けられていた。これにより、DT17の一体鋳鋼製台車枠と比較して大幅な軽量化を実現した。

もっとも、MT15やMT40といった大きく重い吊り掛け式電動機を装架するため軸距は2,450 mmと大きくとってあった。また、先行したDT19で側枠と横梁を溶接し端梁を省略することで更なる軽量化が可能であることが判明していたにもかかわらず、本形式では端梁は残されている。

ブレーキは車体シリンダー式で、両抱き式のブレーキワークを構成する。

これは先行するDT17の設計を踏襲したもので、主電動機や心皿・側受などとの干渉を避けて、揺れ枕の更に外側に連動用ロッドが通してあった。このロッドと連結される連動テコ[4]は側枠上部の各軸箱と揺れ枕の間の空間に大きく突き出しており、特徴的な外観が形成された。

仕様

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  • 形式 - 2軸動力台車
  • 車体支持機構 - 揺れ枕吊り式・3点支持
  • 枕ばね - コイルばね・オイルダンパ付き
  • 台車枠 - 鋼板プレス
  • 軸ばね - コイルばね+防振ゴム
  • 軸箱支持装置 - 上天秤式
  • 軸距 - 2,450 mm
  • 車輪径 - 910 mm

派生形式

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いわゆる旧形国電最末期に設計されたため、国鉄としての派生形式として実現をみたのは1種のみであるが、実際には付随車用の派生形式も設計されていた。また、日本車輌製造が本形式と軸箱などの基本構造が共通の台車を、幾つかの私鉄に納入している。

国鉄向け
  • 電車用
    • DT20A:本形式の1956(昭和31)年度以降の生産分で側枠の設計を改良し、軸ばね下端の防振ゴムを厚くしたもの。外観上、側枠端部の穴が無いことで判別できる。
    • 仮称TR51:本形式と共通の構造で車輪径を縮小し、主電動機支持架などの電装品関連部材を省略したモデル。設計自体は完了していたが、電化の進展に伴う電車の大量増備にあたり、各メーカーの製造能力を勘案して付随台車を一体鋳鋼側枠を備えるTR48で統一し、電動台車をプレス材溶接構造の本形式で統一することとなったため、実際には製造されずに終わった。
私鉄向け

採用された車両

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※流用品・他事業者からの中古品を使用する車両を含む。

日本における「ゲルリッツ式台車」

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【参考】
上天秤に重ね板ばねを用いた
住友金属工業FS107形台車
名鉄モ6785

ゲルリッツ式は本来、ドイツのWUMAG(Waggon- und Maschinenbau AG Görlitz:ゲルリッツ客車機械製造所)が1923年大正12年)に開発したゲルリッツI形台車に由来する。この台車は、2本のコイルばねと重ね板ばねを連結して門形のばね機構を構成する軸箱支持機構部と、長大な重ね板ばねを側枠から2段リンクで吊り下げ、中央部で揺れ枕を支持する枕ばね支持機構部で構成されるのを特徴とする。詳細は鉄道車両の台車史#ドイツ参照。日本ではオハ35系客車での試験も行なわれた。

これに対し、その軸箱支持機構だけを抽出して採用したのが住友の台車である。これも日本ではゲルリッツ式台車または住友式ゲルリッツなどと呼ばれるが、もう一方の重要な構成要素を欠くため、厳密にはゲルリッツ式台車とは呼べない。なお、この軸箱支持機構は既に19世紀末には王立バイエルン邦有鉄道などで客車用台車に採用されており、当時のドイツでは一般的な機構の一つであった他、蒸気機関車炭水車用台車に採用する例がドイツのみならずアメリカ日本など各国で見られた。

脚注

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  1. ^ ばねの中心を貫通し、上端はナットワッシャで側枠に固定されている。
  2. ^ 本来この台車は新造車への装着だけではなく、当時老朽化で疲弊していたモハ30モハ31形などの17 m級車が装着するDT10などを置き換えることを目的としていた。本形式の軸距がDT10と共通の2,450 mmとなった一因は実はここにあった。ただし、この計画は新製電動車で代替し、老朽電動車については電装解除による制御車化で対応することとなったため、最終的に中止されている。
  3. ^ これは同様に側受を外に出した設計のDT17でも、後日の転用を考慮して、同様に移設可能な設計とされていた。
  4. ^ これの支点部は、車輪と主電動機と側枠と横梁に囲まれたごく狭い空間に非常に巧妙に収められていた。もっとも、このブレーキ機構の実装と、乗り心地を改善するために枕ばねに背の高いコイルばねを使用したことから、本形式の側枠は基礎ブレーキ装置との干渉を避けるため、必然的に軸箱付近に位置を引き下げざるを得なくなり、枕梁を側枠下方ではなく上方に突き出して揺れ枕と枕梁で側枠をサンドイッチする位置関係とし、揺れ枕吊りも大きな支持架を斜め上方に突き出すことで対処している。同時期に同一の軸箱支持機構を採用して設計された日本車輌製造NA4系などでは台車シリンダー方式を採用し、枕ばねの背を低くすることで側枠位置を引き上げている。本形式のこの配置は枕ばねに小巻き径で背の高いコイルばねを複列装備する場合は問題ないが、本形式以降に開発された大径の空気ばねを採用する場合には側枠と干渉してしまう位置関係であり、これは次世代のDT21が本形式の設計を一切継承せず、再設計される一因となった。
  5. ^ 1958年(昭和33年)日本車輌製造本店製の車体と、ホデハ11形ホデハ17から供出された主要機器を組み合わせて製作された、いわゆる車体更新車。
  6. ^ なお、日本車輌製造本店設計の台車は、200番台が気動車用、300番台が路面電車用(当初。1970年代末以降は試作台車やVONA用のような特注品、あるいは他社との共同設計品などカテゴライズの難しい形式に付与)、500番台がSIG社との技術提携によるトーションバー・スプリングによる枕ばね+湿式円筒案内式の軸箱支持機構を備えた台車、700番台が円錐積層ゴムによる軸箱支持機構を備えた台車、と区分されている。

関連項目

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