国重政亮
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国重 政亮(くにしげ まさすけ、1866年1月14日(慶応元年11月28日)[1] - 1943年(昭和18年)6月13日[2])は、明治、大正時代の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]山口県出身[2]。1893年、慶応義塾卒。椿郷東分村[3]戸長、同村会議員、同村長、阿武郡会議員、同参事会員、山口県会議員、阿武郡農会長、防長米同業組合長、萩銀行監査役、防長銀行常務取締役、朝鮮勧業(株)社長、開城電気、萩製糸各(株)取締役、朝鮮新幕養蚕伝習所長となる[2]。
1898年の第5回衆議院議員総選挙では山口2区において国民協会から立候補したが40票差で落選した[4]。同年の第6回衆議院議員総選挙で初当選[5]。1902年の第7回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。時をおいて、1920年の第14回衆議院議員総選挙において山口5区から立憲政友会公認で立候補して当選し、18年ぶりに返り咲く[6]。1924年の第15回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1943年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。