西淡路高射砲台跡
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(国次高射砲台跡から転送)
西淡路高射砲台跡(にしあわじこうしゃほうだいあと)は、かつて大阪府大阪市東淀川区西淡路に存在した、旧日本陸軍により建設された高射砲台陣地の跡地である。
概要
[編集]大阪市東淀川区西淡路にある高射砲台の跡地。旧日本軍が第二次世界大戦中に建設した。当時は扇形状に6基の砲台、扇形の要に当たる位置に指揮所が建設された。
建設当時、地名から国次高射砲陣地と呼ばれていた[1]。
歴史
[編集]- 1942年(昭和17年)ごろ、地上に土を盛って四門の高射砲が設置された
- 1944年(昭和19年)ごろ、高床式砲台の建設が始まった
- 1945年(昭和20年)6月ごろ、鉄筋コンクリート(RC)造高射砲台六基とその中心に同じくRC造二階建て指揮所完成
- 終戦時、150 - 200名ほどが所属する「陸軍第十五方面軍高射第三師団第一二二連隊第一大隊第一中隊」が駐屯していた
- 終戦後、砲台は住宅地等に転用される。西端の六番砲台は一階部の壁を撤去し、鉄工所の一部として利用されていた[2]。
- 1989年(平成元年)、東側の一番、二番砲台が解体
- 2012年(平成24年)、四番、五番砲台が解体
- 2019年(平成31年)2月頃、六番砲台が解体[2]。
- 2019年(令和元年)11月、三番砲台が解体[2]。
- 2024年(令和6年)5月、指揮所が解体[3]。
出典は[4]
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 大阪市東淀川区役所 2015, p. 7.
- ^ a b c “西淡路(国次)高射砲台跡:前* 編”. ミカンセーキ. 2024年8月30日閲覧。
- ^ “(73) 西淡路(国次)高射砲陣地(その1)”. enotetuのblog 東淀川区の歴史雑記帳. 2024年8月29日閲覧。
- ^ 北崎秀和 2016.
参考文献
[編集]- 大阪市東淀川区役所『戦後70年 わたしの東淀川遺産』大阪市東淀川区役所総務課、2015年10月。全国書誌番号:22811581。
- 北崎秀和「フォトコラム まちなかの戦争遺跡 西淡路高射砲台」『大阪春秋』平成28年夏号通巻No.163、2016年7月、ISBN 978-4-88269-842-5。