国府清山
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国府 清山(こくふ せいざん、明治26年(1893年)6月2日 - 昭和11年(1936年)8月3日)は、日本画家。
人物
[編集]1893年、「北国府屋」の多三郎・千与の長男として岡山県総社南本町で生まれた。本名は宗一。
絵を描くのが好きだった宗一は、申義小学校(現、総社小学校)を卒業後、服部村深町(現、総社市深町)の中島雲哉の許へ入門し、南画の画法を学んだ。25歳の時に雲哉のすすめにより名古屋に出て矢吹璋雲の弟子となり、璋泉と号して8年にわたって修業する。
大正3年(1914年)に帰郷して、天童と号し画業に励んだ。大正6年(1917年)正恵と結婚、やがて清山と改号した。
大正末年頃、清山は松尾華作翁と語らい、近郷の同好者数十名を集めて「杉風社」を結成し、近くの宝満寺を借りて作画の指導にあたった。
昭和11年(1936年)8月3日、44歳で死去。翌年、杉風社の同人たちの手で「国府清山之碑」が宝満寺の南に建立された。
門下
[編集]- 野村清鳳
- 親清泉
- 小野剛三
参考文献
[編集]- 大月雄三郎『総社市人物風土記: 人物を通じて総社市の歴史をみる』1983年3月1日、p164。
- 総社市史編さん委員会『総社市史 美術編』総社市、1986年3月31日、p289。