国井通太郎
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(国井半山から転送)
くにい みちたろう 国井 道太郎 | |
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生誕 |
1886年1月11日 茨城県那珂湊 |
死没 | 1960年9月1日(74歳没) |
国籍 | 日本 |
別名 | 国井 半山 |
職業 | 活版工員、町会議員、助役 |
著名な実績 | 新渡戸稲造の講演録『人生雑感』を編集・発行 |
国井 道太郎(くにい みちたろう、國井 道太郎、1886年(明治19年)1月11日 - 1960年(昭和35年)9月1日)は日本のキリスト友会(クエーカー)会徒、活版工員、町会議員。茨城県那珂湊生まれ。湊商業学校卒業。1904年(明治37年)、友会徒(クエーカー)となった。新渡戸稲造に私淑し、新渡戸の講演を筆記して、講演録『人生雑感』を編集・発行した。半山(はんざん)と称した。
略歴
[編集]- 1886年(明治19年)1月11日、茨城県那珂湊に生まれる。家業は印刷業であった。
- 湊商業学校を卒業する。
- 1904年(明治37年)、友会徒(クエーカー)となる。
- 1906年(明治39年)、『茨城東海新聞』を発行する。
- 1911年(明治44年)、青山学院神学部に入学する。
- 1913年(大正2年)、父親の病気のため、青山学院を退学し帰郷し家業を継ぐ。
- 1918年(大正7年)、湊幼稚園を設立する。
- 1924年(大正13年)6月、米国の排日移民法に反対してキリスト友会(クエーカー)を脱会する。
- 1925年(大正14年)、町会議員に当選し、以後5期に渡り議員を務める。
- 昭和初期、方面委員を務める。
- 1936年(昭和11年)9月10日 - 9月13日、満州国新京特別市で開催された第3回日満社会事業大会に参加する[1]。
- 戦後、公職追放。民生委員を務める。
- 1950年(昭和25年)、藍綬褒章を受章する。
- 1960年(昭和35年)9月1日、死去。74歳。
著作
[編集]単著
[編集]- 『救ひを要する人々』洛陽堂、1921年12月23日。NDLJP:907209。
- 国井半山『イエスとその弟子』東洋出版社、1923年12月5日。NDLJP:980680。
- 国井半山『現代青年修養読本』東京国民書院、1927年7月25日。NDLJP:1022719。
- 『湊町発達史』茨城東海新聞社、1928年。NDLJP:1263844。
- 『方面委員の手牒』刀江書院、1935年5月15日。NDLJP:1463659。
- 『方面委員の手帳 那珂湊町のある民生活動記』崙書房(出版) 茨城図書(発売)〈ふるさと文庫 茨城〉、1979年10月。 - 『国井(1935)』の再刊。
- 『友邦満洲国に使して』茨城東海新聞社、1937年1月10日。NDLJP:1095668。
- 『那珂湊大漁港修築史』那珂湊大漁港期成同盟会、1955年9月3日。
- 『町政雑記 抄』 1巻、筑波書林(出版) 茨城図書(発売)〈ふるさと文庫〉、1982年3月。
- 『町政雑記 抄』 2巻、筑波書林(出版) 茨城図書(発売)〈ふるさと文庫〉、1982年5月。
- 『町政雑記 抄』 3巻、筑波書林(出版) 茨城図書(発売)〈ふるさと文庫〉、1982年5月。
編著
[編集]- 新渡戸稲造 著、國井通太郎 編『人生雜感』警醒社書店、1915年2月。NDLJP:980676。
- 新渡戸稲造 著、国井通太郎 編『人生雑感』講談社〈講談社学術文庫 611〉、1983年8月。ISBN 4-06-158611-4。 - 新渡戸&國井編(1915)の再刊。
共著
[編集]- 国井信義『那珂湊漁港史 漁港修築の今昔』筑波書房〈ふるさと文庫〉、1980年1月。 - 標題紙等の著者(誤植):国井義信。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐藤全弘 著「「内なる光」に生きた人」、国井通太郎 編『人生雑感』講談社〈講談社学術文庫 611〉、1983年8月10日、283-291頁。ISBN 4-06-158611-4。 - 『新渡戸&国井編(1983)』の解説。
- 角達也「国井道太郎さんをいただく(1)-(7)」『日本クエーカー教徒の研究・列伝・友を頂く』18号-24号、角達也、1980-1982。