因島市立椋浦小学校
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因島市立椋浦小学校 | |
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北緯34度19分02.7秒 東経133度12分06.6秒 / 北緯34.317417度 東経133.201833度座標: 北緯34度19分02.7秒 東経133度12分06.6秒 / 北緯34.317417度 東経133.201833度 | |
過去の名称 |
明分舎 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
三浦村 ↓ 三庄町 ↓ 因島市 |
併合学校 | 該当無 |
設立年月日 | 1872年4月22日[注 1] |
閉校年月日 | 1990年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
小中高一貫教育 | 該当無 |
幼小中高一貫教育 | 該当無 |
小中一貫教育 | 該当無 |
幼小中一貫教育 | 該当無 |
幼小一貫教育 | 該当無 |
分校 | 該当無 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒722-2321 |
広島県因島市椋浦町500番地 | |
外部リンク | 該当無 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
因島市立椋浦小学校(いんのしましりつ むくのうらしょうがっこう 英称:Innoshima Munipical Mukunoura Elementary Scholl)は、広島県因島市椋浦町に存在した公立小学校である[注 2]。
沿革
[編集]開校前
[編集]- 18xx年(文政x年)
- 椋浦村内に松本玄庵が 松本塾 を開塾[1]。
- 18xx年(嘉永2年)
- 椋浦村内に松本玄庵が 玄庵歿 を開塾[1]。
- 18xx年(文久2年)
- 椋浦村内に松本玄篤が 玄篤歿 を開塾[1]。
- 1868年(慶応4年)
- 椋浦村内に穂波宗古が 穂波塾 を開塾[注 3]。
開校後
[編集]- 1872年(明治5年)
- 1878年(明治11年)
- 明分舎を廃止し、同塾を 椋浦学校 と改称[1]。
- 1882年(明治15年)
- 同校を 御調郡第54小学区椋浦小学校 と改称[1]。
- 1886年(明治19年)
- 同校を 御調小学校区椋浦小学教場 と改称[1]。
- 1887年(明治20年)
- 同校を 御調小学校区椋浦簡易小学校 と改称[注 5]。
- 1888年(明治21年)
- 同校を 公立椋浦簡易小学校 と改称[1]。
- 1890年(明治23年)
- 1891年(明治24年)
- 同校を 三浦村立椋浦尋常小学校 と改称[注 6]。
- 1908年(明治41年)
- 1940年(昭和15年)
- 同校の新校舎が落成し、広島県御調郡三浦村大字椋浦500番地へ移転[注 7]。
- 1941年(昭和16年)
- 同校を 椋浦国民学校 と改称[3]。
- 1947年(昭和22年)
- 同校を 三浦村立椋浦小学校 と改称[注 8]。
- 1948年(昭和23年)
- 1953年(昭和28年)
- 1958年(昭和33年)
- 1964年(昭和39年)
- 同校が全校鼓笛隊を編成[4]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 文部省が同校を準へき地校と指定[4]。
- 1971年(昭和46年)
閉校後
[編集]外部リンク
[編集]椋の里ゆうあいランド
[編集]- “椋の里ゆうあいランド” (PDF) (日本語). 尾道市教育委員会因島瀬戸田地域教育課. 2018年4月22日閲覧。[注 14]
- “文化・スポーツ施設”. 因島市. 2005年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月22日閲覧。[注 15]
併合学校の公式サイト
[編集]- “三庄小学校”. 尾道市立三庄小学校. 2018年4月22日閲覧。[注 16]
- “尾道市立因島南小学校ホームページ”. 尾道市立因島南小学校. 2018年4月22日閲覧。[注 17]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 明治5年以前で採用されていた天保暦表記では、明治5年3月15日となる。
- ^ 2006年1月10日以後の同県尾道市因島椋浦町にあたる。
- ^ 同塾は明治時代初期に 明分舎 と改名している[1]。
- ^ 明分舎が充てられた。また、同年月日を椋浦小学校の創立としている[1]。
- ^ 修業年限は3年であった[1]。
- ^ 修業年限は4年であった[2]。
- ^ 旧校舎は同校の校長住宅へ転用[3]。
- ^ 学制改革のため[3]。
- ^ 御調郡三浦村廃止により同村大字椋浦が同郡三庄町へ編入されたため[3]。
- ^ 御調郡三庄町が因島全域と生口島の3町4村で合併し、因島市を新設したため[3]。
- ^ ただし、調理後の給食自体は隣校の因島市立三庄小学校の給食室から運搬していた[5]。
- ^ 因島市立三庄小学校との統廃合による。
- ^ 同校新校舎は まなびの館 へ、同校旧校舎である校長住宅は 民俗資料館 へ転用された[6]。
- ^ 尾道市の公式案内文書。
- ^ 因島市の公式案内サイト。
- ^ 同校統合先である尾道市立三庄小学校の公式サイト。
- ^ 尾道市立三庄小学校の統廃合先である尾道市立因島南小学校の公式サイト。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k (日本語)『椋浦 創立百周年記念誌』(初版)因島市立椋浦小学校創立100周年記念事業委員会、広島県因島市椋浦町500番地、1972年10月(原著1972年10月)。
- ^ a b c (日本語)『椋浦 創立百周年記念誌』(初版)因島市立椋浦小学校創立100周年記念事業委員会、広島県因島市椋浦町500番地、1972年10月(原著1972年10月)。
- ^ a b c d e (日本語)『椋浦 創立百周年記念誌』(初版)因島市立椋浦小学校創立100周年記念事業委員会、広島県因島市椋浦町500番地、1972年10月(原著1972年10月)。
- ^ a b c d e f (日本語)『椋浦 創立百周年記念誌』(初版)因島市立椋浦小学校創立100周年記念事業委員会、広島県因島市椋浦町500番地、1972年10月(原著1972年10月)。
- ^ (日本語)『椋浦 創立百周年記念誌』(初版)因島市立椋浦小学校創立100周年記念事業委員会、広島県因島市椋浦町500番地、1972年10月(原著1972年10月)。
- ^ “椋の里ゆうあいランド” (PDF) (日本語). 尾道市教育委員会因島瀬戸田地域教育課. 2018年4月22日閲覧。