四至本侑城
生年月日 | 1988年12月24日(35歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出身地 | 大阪府 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 1.84 m (6 ft 1⁄2 in) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 106 kg (16 st 10 lb) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学校 | 大阪桐蔭高校 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 同志社大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | しし | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
四至本 侑城(ししもと ゆき、1988年12月24日 - )は、日本の元ラグビー選手。
プロフィール
[編集]- 大阪府出身。
- ポジションはロック(LO)、ナンバーエイト(No8)。
- 身長 184cm、体重 106kg
- ニックネームはしし。
略歴
[編集]地元の岬ラグビースクールが盛んだったのでラグビーを始めた[1]。
2007年、大阪桐蔭高校卒業後[2]、同志社大学に入る。なお大阪桐蔭高校時代には、2006年度高校日本代表(2006年)に選ばれた[3]。2010年、同志社大学ラグビー部の副将に就任した[4]。
2011年、同志社大学卒業後、クボタスピアーズに加入[5]。同年9月18日に行われたトップイーストリーグ第2節の釜石シーウェイブス戦に先発出場で公式戦初出場を果たした[6]。2012年には7人制ラグビーの学生日本代表として「第5回 7人制ラグビー学生世界選手権(開催地:フランス・ブリーヴ)」に参加。四至本は全試合に出場するも、決勝トーナメントでフランス代表に敗れて敗者戦に回り、ルーマニア代表、ポルトガル代表を破って5位に終わった[7]。
2012年には男子7人制日本代表として、HSBCアジアセブンスシリーズ第1戦「ボルネオセブンス」、第3戦「ムンバイセブンス」に参加した。ボルネオセブンスでは決勝を除く4試合すべてに出場し、チームは優勝。予選第1戦のスリランカ代表戦では1トライを決めている[8]。9月22日-23日に行われた第2戦「上海セブンス」では直前合宿のメンバーに選ばれていたものの[9]、中国の国内情勢の悪化(詳しくは2012年の中国における反日活動)から、チームは出場を辞退した[10]。第3戦「ムンバイセブンズ」ではキャプテンを坂井克行から受け継いでチームを準優勝に導き、HSBCアジアセブンズシリーズ総合成績でも準優勝を果たした。個人としては決勝トーナメントを含む6試合すべてに出場し、予選で1トライを獲得している[11]。11月にはワールドカップ・セブンズ2013のアジア地区予選を兼ねた「シンガポールセブンズ」に代表として参加し、全5試合中決勝を含めた3試合に出場し、チームの優勝に貢献した[12]。
2013年、ワールドカップ・セブンズ2013のコアチーム昇格決定大会の予選を兼ねた「香港セブンズ」に参加し3試合に出場したが、準々決勝でグルジア代表に0-17で敗れ、コアチーム昇格決定大会への出場を逃した[13]。セブンズワールドシリーズ「東京セブンズ2013」では3試合に出場するも、チームは全体14位に終わった[14][15]。
2020年、所属するクボタスピアーズを退団し、現役を引退した[16]。
代表歴
[編集]- 2006年 高校日本代表 (オーストラリア遠征)[3]
- 2006年 U19日本代表 (スコッド遠征)[17]
- 2007年 U19日本代表 (スコッド遠征)[18]
- 2012年 学生日本代表 (7人制ラグビー学生世界選手権 5位)[7]
- 2012年 男子7人制日本代表 (ボルネオセブンス 優勝)[8]
- 2012年 男子7人制日本代表 (ムンバイセブンス 準優勝)[11]
- 2012年 男子7人制日本代表 (「ワールドカップ・セブンズ2013アジア地区予選」兼「シンガポールセブンズ」優勝)[12]
- 2013年 男子7人制日本代表 (「ワールドカップ・セブンズ2013コア・チーム昇格決定大会予選」「香港セブンズ」準々決勝敗退)[13]
- 2013年 男子7人制日本代表 (HSBCセブンズワールドシリーズ「東京セブンズ」シールド14位)[15]
出典
[編集]- ^ 12月24日に24歳の誕生日を迎える四至本選手にインタビュー!! . クボタスピアーズ公式サイト(2012年12月14日). 2018年1月22日閲覧。
- ^ 大阪桐蔭高等学校 ラグビー部. 大阪桐蔭高等学校. 2018年1月22日閲覧。
- ^ a b 2006年度 高校日本代表オーストラリア遠征 . Rugby-try. 2018年1月22日閲覧。
- ^ 【大学ラグビー】来年度主要校の新体制。傾向は「兄弟」「東海大仰星」 . JSPORTS. 2018年1月22日閲覧。
- ^ ジャパンラグビートップイースト クボタスピアーズ2011年度体制・新加入選手、退団選手のお知らせ . クボタスピアーズ公式サイト(2011年3月29日). 2018年1月22日閲覧。
- ^ ジャパンラグビートップイーストリーグDiv.1 第2節 . 日本ラグビーフットボール協会. 2018年1月22日閲覧。
- ^ a b “男女7人制学生日本代表「7人制ラグビー学生世界選手権」試合結果”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b “HSBCアジアセブンズシリーズ第一戦「ボルネオセブンズ」男子7人制日本代表試合結果”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ “HSBCアジアセブンズシリーズ第二戦「上海セブンズ」男子7人制日本代表 直前合宿参加メンバー”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ “男子7人制日本代表 上海セブンズへ派遣中止決定 | ラグビーリパブリック” (2012年9月20日). 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b “HSBCアジアセブンズシリーズ第三戦「ムンバイセブンズ」男子7人制日本代表試合結果”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b “ワールドカップ・セブンズ2013 アジア地区予選 兼 HSBCアジアセブンズシリーズ第四戦「シンガポールセブンズ」男子7人制日本代表 試合結果(最終日)”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b “香港セブンズ(HSBCセブンズワールドシリーズ・コアチーム昇格に向けた予選大会)試合結果(第3日)”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ “東京セブンズ 日本は2勝でシールド準優勝 疲労するなかスタイル信じ抜く | ラグビーリパブリック” (2013年3月31日). 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b “HSBCセブンズワールドシリーズ東京セブンズ2013 男子7人制日本代表 第2日(3/31)試合結果のお知らせ”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ 2019年度退団選手コメント(四至本侑城選手) . クボタスピアーズ公式サイト(2020年5月20日). 2020年5月20日閲覧。
- ^ “U19日本代表スコッド メンバー”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
- ^ “U19日本代表スコッド合宿参加メンバー”. 日本ラグビーフットボール協会. 2021年12月26日閲覧。
関連項目
[編集]- 大阪府出身の人物一覧
- 大阪桐蔭中学校・高等学校
- 同志社大学ラグビー部
- クボタスピアーズ
- 才田修二 - 同志社大学時代の同級生。
- 酒井教全 - 同志社大学時代の同級生。
- 森田洋介 - 同志社大学時代の同級生。