四川均産一揆
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四川均産一揆(しせんきんさんいっき)とは、中国の宋代に起きた農民反乱。「均産」とは、一揆側がスローガンに掲げた貧富格差の是正(「均貧富」)に由来する。一揆の頭目(リーダー)の名から、「王小波・李順の乱」とも。
前史
[編集]965年(乾徳3年)に宋が後蜀を滅ぼした。宋は、四川地方の豊かな経済力に目をつけており、絹織物や茶など特産物の売買を統制するなど、数々の収奪を行った。
概要
[編集]993年(淳化4年)、従来の政府による絹・茶の売買統制だけでなく、政治的弾圧に耐えかねた人々が、茶商人の王小波をリーダーとして決起した。「均貧富」の呼びかけに、農民、中小商人、手工業者、さらには反政府的な豪族も参加したため、反乱軍は強大化した。
李順が後継者となって成都に進出して四川全域を影響下に置いた。だが、やがて優勢な宋朝軍の前に劣勢を喫し。995年(至道元年)に、時の指導者である張余が殺害されて、反乱は終焉した。