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囚われの聴衆事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最高裁判所判例
事件名 商業宣伝放送差止等請求事件
事件番号 昭和58(オ)1022
1988年(昭和63年)12月20日
判例集 集民第155号377頁
裁判要旨
市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。
第三小法廷
裁判長 貞家克己
陪席裁判官 伊藤正己安岡満彦坂上壽夫
意見
多数意見 全会一致
意見 伊藤正己
反対意見 なし
参照法条
民法415条,民法709条,民法710条
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囚われの聴衆事件(とらわれのちょうしゅうじけん)は日本民事訴訟[1]。電車の乗客が乗車中に商業広告放送を強制的に聞かされることが人格権侵害に該当するか否かが問われた。

概要

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大阪市営地下鉄を利用していた大阪市在住の弁護士が「電車内での強制的なCM放送は人格権の侵害。安全、快適な輸送という運送契約に違反している。」として、1978年12月に商業放送の差し止めと損害賠償を求めて大阪市を提訴した[1][2]

1981年4月22日大阪地方裁判所は「一般乗客に嫌悪感を与えるものではない」として請求を棄却[1][2]。原告は控訴したが、1983年5月31日大阪高等裁判所はこれを棄却[1]、原告は上告した[1]

1988年12月20日最高裁判所は「大阪市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送を違法ということはできない」として上告を棄却し、原告敗訴が確定した[1]伊藤正己裁判官は「法律の規定を待つまでもなく、人は聞きたくないものを聞かず、見たくないものを見ない自由があり、他者から自分が欲しない刺激で心の静けさを乱されない利益を広い意味でプライバシーと呼べると言える」と新見解を示した上で、「我が国は静かな環境の重要性に関する認識が乏しい」「(原告の主張は)意義のある問題提起」と評価したものの「プライバシーは公共の場所では保護も薄くなり、受忍すべき範囲が広くなる。原告が車内では囚われの聴衆であること、本件地下鉄が地方公共企業であることを考慮に入れるとしても、この程度の商業放送は原告の受忍の範囲を超えたプライバシーの侵害とは言えない。」とした[2][3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 憲法判例研究会 (2014), p. 119.
  2. ^ a b c 「地下鉄内CMは違法とは言えぬが人格権侵害の訴えは意味ある提起/最高裁」『読売新聞読売新聞社、1988年12月21日。
  3. ^ 商業宣伝放送差止等請求事件”. 最高裁判所判例集. 裁判所 (1988年12月20日). 2023年2月24日閲覧。

参考文献

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  • 憲法判例研究会 編『憲法』(増補版)信山社〈判例プラクティス〉、2014年6月30日。ASIN 4797226366ISBN 978-4-7972-2636-2NCID BB15962761OCLC 1183152206国立国会図書館書誌ID:025522543 

関連項目

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