嘉山幹一
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嘉山 幹一(かやま かんいち、1872年6月18日(明治5年5月13日[1]) - 1940年(昭和15年)5月7日[2])は、明治から昭和時代前期の司法官。大審院判事。
経歴
[編集]嘉山昆篤の長男としてのちの静岡県に生まれ、1904年(明治37年)5月、家督を相続する[1]。1895年(明治28年)7月、帝国大学法科大学を卒業し、1897年(明治30年)5月、高崎区裁判所判事に任じる[1]。ついで高崎地方裁判所、東京区裁判所、同地方裁判所各判事、同裁判所部長、同控訴院判事を経て、1912年(明治45年)2月、大審院判事に進んだ[1]。1913年(大正2年)2月、会計検査官懲戒裁判所予備裁判官を兼任した[1]。のち大審院部長や万国海法会委員を務めた[3]。ほか、日本大学や明治大学にて刑法講座を担当した[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 人事興信所 1915, か22頁.
- ^ 『官報』第4001号「彙報」昭和15年5月11日。
- ^ 人事興信所 1928, カ42頁.
- ^ 『官報』第4117号「叙任及辞令」1926年5月17日。