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喜蔵塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
喜蔵塚古墳

墳丘・石室開口部
別名 平井村567号墳
所在地 群馬県藤岡市白石(字中郷)
位置 北緯36度14分57.70秒 東経139度1分59.73秒 / 北緯36.2493611度 東経139.0332583度 / 36.2493611; 139.0332583座標: 北緯36度14分57.70秒 東経139度1分59.73秒 / 北緯36.2493611度 東経139.0332583度 / 36.2493611; 139.0332583
形状 円墳方墳?)
規模 直径23-25m
高さ4m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀
史跡 藤岡市指定史跡「喜蔵塚古墳」
地図
喜蔵塚古墳の位置(群馬県内)
喜蔵塚古墳
喜蔵塚古墳
地図
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喜蔵塚古墳(きぞうづかこふん)は、群馬県藤岡市白石にある古墳。形状は円墳(または方墳)。藤岡市指定史跡に指定されている。

本項では、喜蔵塚古墳の西南西にある境塚古墳についても解説する。

概要

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群馬県南部、鏑川南岸・鮎川西岸の白石台地南端付近の斜面地に築造された古墳である。古墳名はかつての所有者名に由来する。西南西には境塚古墳が所在するが、それ以外の古墳の群集は認められていない。古くから開口し、戦時中は平井村役場の重要書類庫として利用されていたほか[1]、発掘調査は実施されていない。

墳形は円形(または方形)で、南北約25メートル・東西約23メートル・高さ約4メートルを測る[2][3]葺石・周溝は明らかでなく、墳丘外表で埴輪は認められない[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な石室である。石室内の副葬品は明らかでない。築造時期は古墳時代終末期の7世紀末[2]7世紀[3]/7世紀後半[4])頃と推定される。

古墳域は1968年昭和43年)に藤岡市指定史跡に指定されている[4]

埋葬施設

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石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[2]

  • 石室全長:7.04メートル
  • 玄室:長さ2.60メートル、幅2.00-2.10メートル(奥壁)、高さ1.85メートル(奥壁)
  • 羨道:長さ4.30-4.41メートル、幅1.30-1.35メートル、高さ1.55-1.60メートル

石室の石材は凝灰岩の切石で、截石切組積みによって構築される。玄室は奥壁・両側壁とも2段積みでほぼ垂直に立ち上がるが、奥壁では巨石1石の上に小石1石を積むのに対して、側壁では同等の大きさの大石4石を積む[2]。石室の壁面は平滑であり、石材の目地には漆喰の塗布が認められる[2](ただし後世にその上にモルタルが塗布されている)。羨道の石材は小ぶりであり、概ね3段で互目積み様の切組積みで垂直に立ち上がる[2]。また玄室・羨道の間では袖石・冠石・梱石が張り出して玄門を形成する。天井石は、玄室では1石、羨道では5石で、いずれも牛伏砂岩の巨石である[2]

境塚古墳

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境塚古墳

石室開口部
別名 八幡塚古墳
所在地 群馬県藤岡市白石(字根岸)
位置 北緯36度14分52.65秒 東経139度1分37.27秒 / 北緯36.2479583度 東経139.0270194度 / 36.2479583; 139.0270194 (境塚古墳)
形状 円墳
規模 直径23m
高さ3.5m
埋葬施設 横穴式石室
築造時期 7世紀後半
史跡 なし
地図 地図
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境塚古墳(さかいづかこふん、八幡塚古墳)は、群馬県藤岡市白石にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。

概要

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喜蔵塚古墳から西南西500メートル離れた斜面地に山寄せで築造された古墳である[5]。天井石が抜き取られて開口するほか、発掘調査は実施されていない。

墳形は円形で、現状では直径23メートル・高さ3.5メートルを測る[5]。墳丘外表には河原石が散在し葺石の存在が推定されるが、埴輪は認められない[5]。埋葬施設は横穴式石室で、南方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な石室である。石室内の副葬品は明らかでない。築造時期は古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定され[5]、喜蔵塚古墳に先行する時期に想定される。

埋葬施設

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埋葬施設としては横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。現在は玄室の一部が露出するのみであり、長さ2.15メートル・幅1.95メートル(奥)・高さ2.1メートルを測る[5]

玄室の手前天井石は抜き取られて橋材に利用されたとされ、現在は玄室奥部のみが確認できる[5]。玄室の手前は埋没しているため明らかでないが、羨道が存在したとみられる[5]。石室の石材は凝灰岩の切石で、截石切組積みによって精巧に構築される[5]。玄室の奥壁では巨石3石をやや内傾して積み上げ、側壁は5-6段の通目積み・互目積み様の切組積みで、高さ1メートルまでは垂直でその上は内傾する[5]。天井石は2石が遺存し、いずれも片岩である[5]

石室各部の数値は30センチメートルの倍数であることから、石室の構築にあたっては唐尺の使用が推測される[5]

文化財

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藤岡市指定文化財

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  • 史跡
    • 喜蔵塚古墳 - 1968年(昭和43年)4月23日指定[4][3]

脚注

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参考文献

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  • 史跡説明板(藤岡市教育委員会設置)
  • 「喜蔵塚古墳」『群馬県の地名』平凡社日本歴史地名大系10〉、1987年。ISBN 4582490107 
  • 『藤岡市史』 資料編 原始・古代・中世、藤岡市、1993年。 
    • 「喜蔵塚古墳」「境塚古墳」

外部リンク

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