喜舎場永珣
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喜舎場 永珣(きしゃば えいじゅん、1885年7月15日 - 1972年4月2日)は、沖縄県出身の日本の郷土史家(沖縄学者)、民俗学者。「八重山研究の父」と呼ばれる[1][2]。石垣市名誉市民[3]。
略歴
[編集]1885年7月15日、沖縄県石垣島(現在の石垣市)に生まれる。沖縄県師範学校を卒業して教師となる[4]。
1907年に八重山列島を訪問した伊波普猷の影響で郷土史研究に着手。1921年に八重山列島を訪れた柳田国男を案内したことが縁で、1924年に『八重山島民謡誌』が柳田による炉辺叢書の1巻として出版された[4]。
1932年には校長の職を辞し、以後は八重山研究に専念。1954年に『八重山歴史』、1968年に『八重山民謡誌』を出版[4]。1970年に出版された『八重山古謡』で、1971年度の柳田国男賞を受賞した[5]。
脚注
[編集]- ^ “肉筆ノートなど公開 八重山博物館50年記念 喜舎場永珣企画展が好評”. 八重山毎日新聞. (2022年11月2日). オリジナルの2022年11月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “北里蝋管の歌声 喜舎場永珣か/八重山研究の父/本人日誌と録音記録合致”. 沖縄タイムス. (2019年6月11日). オリジナルの2019年6月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ “構成市町 : 石垣市”. 八重山広域市町村圏事務組合. 2023年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月20日閲覧。
- ^ a b c 高良倉吉「喜舎場永珣」『日本大百科全書(JapanKnowledge版)』小学館。
- ^ “八重山古謡”. 最新版 沖縄コンパクト事典. 琉球新報社 (2003年3月). 2023年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月20日閲覧。