喜納昌春
喜納昌春 きな まさはる | |
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生年月日 | 1947年6月10日(77歳) |
出生地 | 日本 沖縄県中頭郡西原町 |
出身校 | 琉球大学卒業 |
所属政党 | 沖縄社会大衆党 |
沖縄県議会議長 | |
選挙区 | 中頭郡選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1988年 - 2008年 2012年 - 2016年6月 |
第10代 沖縄社会大衆党委員長 | |
在任期間 | 2004年 - 2010年8月6日 |
喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)、沖縄県議会議長。沖縄社会大衆党元委員長。沖縄県中頭郡西原町出身。
来歴
[編集]琉球大学卒業。1988年の第6回沖縄県議会議員選挙で中頭郡選挙区より立候補し初当選。以後、5期連続当選し2004年に沖縄社会大衆党(社大党)委員長に就任。同年の第20回参院選で民主党・社民党・共産党と共に野党共闘体制を構築し、社大党の副委員長・糸数慶子を無所属の野党統一候補として出馬、当選させた。2008年の第10回県議選においては県政の与野党を逆転させたものの自身は落選し、社大党も議席を減らす結果となったが委員長職を続投した[1]。
2010年7月の第22回参院選において、民主党・社民党・社大党の統一候補として無所属での出馬が内定していた[2]が、普天間基地移設問題に対する民主党の迷走もあり、同年5月9日になって立候補を断念した[3]。その後、2010年8月の第74回定期党大会で委員長を退いた[4](後任は糸数慶子)。
2012年6月の第11回県議選に出馬、6期目の当選で県政に復帰。同月、与党の自由民主党、公明党と中道の改革の会から支持を受け、野党候補を破って県議会議長に就任した[5]。自民党に支持を要請し、野党分断を招いたため、社大党から即日除名された[6]。
2013年1月13日、那覇市において「自主・平和のためのチュチェ思想全国セミナー」(チュチェ思想研究会全国連絡会と金日成・金正日主義研究沖縄連絡会の主催)に参加。喜納はそこで、米軍基地の排除と沖縄を平和な島にするためと称している運動の状況を、参加者に報告した[7]。
2016年6月の任期満了をもって県議を勇退。同年8月、西原町長選挙に立候補するも落選。
脚注
[編集]- ^ 喜納委員長続投を内定 社大党(琉球新報、2008年8月11日)
- ^ 喜納氏、3党統一候補 参院選(沖縄タイムス、2010年3月22日)
- ^ “「県内なら戦えぬ」与党系新人、出馬断念…沖縄”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月10日) 2010年5月10日閲覧。
- ^ 第74回定期大会報告(社大党ホームページ)2010年11月2日閲覧
- ^ “新議長に喜納氏 副議長に浦崎氏 県議会”. 琉球新報 (琉球新報). (2012年6月26日) 2013年1月11日閲覧。
- ^ “県議会議長選出 党利党略排し発言力保て”. 琉球新報 (琉球新報). (2012年6月28日) 2014年6月27日閲覧。
- ^ 金正恩第一書記の誕生を祝賀しチュチェ思想全国セミナーが開催される 金日成・金正日主義研究会