Marie (ロックミュージシャン)
Marie(まりー、1951年8月19日- )は、沖縄県中城村出身のハードロック・ミュージシャン。
ハードロックバンド「Marie with MEDUSA」のボーカリストとして、ベトナム戦争時代の沖縄で米兵の人気を集め、オキナワン・ロックの女王といわれた。父親がイタリア系アメリカ人で母親が日本人のハーフ。
「喜屋武マリー」(きゃんマリー)として、ミュージカル女優としても活躍した。現在は、芸名を「Marie(マリー)」として、沖縄市を拠点に《Marie's Band》などのユニットで活動している。
経歴
[編集]Marie with MEDUSA結成まで
[編集]1981年、上京後、大阪厚生年金会館でのライヴを収録したアルバム『Marie FIRST LIVE』(CBSソニー)発売。挫折して、沖縄に再び拠点を戻す。
1986年、ハードロックバンド《Marie with MEDUSA》結成[1]。
「喜屋武マリーの青春」と映画化
[編集]1986年8月、「琉球新報」に利根川裕のルポルタージュ「喜屋武マリーの青春」が連載される。同年11月、単行本として出版。
1989年6月9日、「喜屋武マリーの青春」をベースにした崔洋一監督の映画『Aサインデイズ』公開[2](キャスト=中川安奈・石橋凌・広田玲央名、主題歌は、喜屋武マリー「愛は限りなく」)。
ミュージカルと映画出演
[編集]1991年11月、ミュージカル「Blood Brothers」(共演=柴田恭兵、三田村邦彦、サンシャイン劇場・制作=松竹)で、ミュージカル女優としてデビュー。主役のジョンストン夫人役を演じる。1992年に再演、1995年にも再々演。
1992年、MEDUSAとしての活動は停止し、拠点を東京へ移す。
2003年、日韓共同制作『アジアの歌』(BSフジ)に出演。この頃から東京の音楽学校の講師[3]。
2005年4月23日、出演したドキュメンタリー映画『シャウト・オブ・アジア』(玄真行監督、忌野清志郎も登場する)が渋谷シネ・ラ・セットで公開[4]。
沖縄──原点からの再出発
[編集]2005年、沖縄に本拠地を戻し、「Marie MusicOffice」を設立する。同年4月からFMコザ、RBCで、ラジオパーソナリティを担当。
2006年、沖縄市にミュージックバーをオープン。7月2日第24回ピースフルラブロックフェスティバルに15年ぶりに出演、トリを務め話題となる。この年、Marie's Bandとして活動を展開。
2007年9月、出演した第25回ピースフルラブロックフェスティバルがMusic Japan TV で放送される。同年12月1日、出演したNHK総合テレビの「課外授業 ようこそ先輩」が放送[5]。
ディスコグラフィー
[編集]アルバム
[編集]- 『Marie FIRST LIVE』(1981年、CBS・ソニー)※1991年CD再発売
- 『Marie TIME FLOW』(1984年、CBS・ソニー)
- 『l was Born ln OKINAWA』(1989年4月25日、徳間ジャパン)※1994年CD再発売
- 『Burning Blood』(1990年11月7日、BMGビクター)
- 『Musical Blood Brothers』(1992年10月25日、ポリドール)ミュージカル「Blood Brothers」の楽曲収録
マキシシングル
[編集]- 『Marie Asian Rose』(2006年6月20日、知花竜海がラップで参加)
関連書籍
[編集]- 利根川裕『喜屋武マリーの青春』(1986年南想社 後ちくま文庫 ISBN 4480021736)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 出演イベント(2006年10月)の際のプロフィール
- ^ “Aサインデイズ:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画”. MOVIE WALKER PRESS. 2023年10月25日閲覧。
- ^ 前掲プロフィール
- ^ “『シャウト オブ アジア』カン・サネ インタビュー”. www.cinemajournal.net. 2023年10月25日閲覧。
- ^ 「自分の花を咲かせよう」 沖縄市立諸見小学校 マリー(歌手)「課外授業 ようこそ先輩」番組サイト内