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喜劇 男の泣きどころ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
喜劇 男の泣きどころ
監督 瀬川昌治
脚本
製作 猪股尭
出演者
音楽 青山八郎
主題歌 フランキー堺「喜劇 男の泣きどころ」(クラウン[1][2]
撮影 川又昂
編集 太田和夫
製作会社 松竹
公開 日本の旗 1973年6月9日
上映時間 93分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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喜劇 男の泣きどころ』(きげき おとこのなきどころ)は、1973年松竹映画[1][3][4][5][6][7]

警視庁保安一課、別名ポルノ取締官がブルーフィルムエロ写真の捜査を進めていくうちに、セッ〇ス・アレルギーとなりインポになってしまい、女房によるあの手この手の回復作戦で見事回復していくというセック〇喜劇で[1][3][5][6][8]、公開時には「松竹初のポルノ映画」として宣伝された[5]。鈴木義昭は本作と『喜劇 男の腕だめし』(1974年)、『喜劇 女の泣きどころ』(1975年)と合わせ、「瀬川昌治ストリップ三部作」と評している[9]

ストーリー

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スタッフ

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  • 監督:瀬川昌治
  • 脚本:田坂啓、瀬川昌治
  • 製作:猪股尭
  • 撮影:川又昂
  • 音楽:青山八郎
  • 主題歌:フランキー堺:「喜劇 男の泣きどころ」(クラウン[1][2]
  • 美術:佐藤公信
  • 録音:栗田周十郎
  • 照明:小林松太郎
  • 編集:太田和夫

キャスト

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製作

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企画

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寅さんザ・ドリフターズの二本立て以外の週はさっぱりお客が入らず[5]、いったい何をやったらいいのか分からない状態の松竹が[5]東映ポルノ日活ロマンポルノみたいなポルノ映画を作る勇気はないが、ポルノをサカナにするぐらいは出来ると企画された[5]。松竹は表向きはポルノを扱わない定だったが、実際は洋ピン(洋画ポルノ)の大流行で、系列の洋画配給会社・松竹映配の中にポルノ洋画の配給を専門に行うグローバル・フィルムを持ち、積極的に洋ピンの興行を行っていた[10]

喜劇一筋39本目となる脚本監督瀬川昌治監督(脚本は田坂啓との共同)は[6]東映で「東映列車シリーズ」を手掛けた後[7][9]、松竹に移籍し[9][11]、松竹でも似たような「旅行シリーズ」をたくさん作っていたが[7][9]、1972年の『喜劇 快感旅行』で金沢ロケに行った帰りに列車の中でフランキー堺と「『旅行』ばかりじゃつまらないね」という話になり、「(主人公は)刑事がいいんじゃないか」と、「二人ともストリップが好きだから、そういうのを取り締まる保安課の刑事にしたら…」などと二人で盛り上がり、「あんまり仕事に熱中してインポになっちゃたら」と瀬川が言ったら、フランキーが「それだ!って言った」などと述べている[9]

瀬川は「ポルノの氾濫が現代日本の風俗現象化として見逃せない今日、ポルノを取り締まる体制側の男の行動を通して、いわゆる焼け跡派といわれる中年男のセッ〇スの哀史を掘り起こした」などの演出意図を述べた[5]

撮影

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松竹初のポルノ映画だけにスタッフも大弱りだったが、経験豊富なフランキー堺が手取り足取りの演技指導[1]。果ては主題歌作詞と歌まで引き受けた[1]。作詞を永六輔に見せたら「いい詞じゃないか」と褒められたという[1]。フランキーは本作のテーマについて「人間は生まれたとき、みんな裸でしょ。その裸がどうして悪いかってことですね」と話した[1]

また瀬川は「何といっても(ストリップ嬢に扮する)太地喜和子でしょう!彼女は艶気があって、それをナマで出してくるからね。太地君が一番脂が乗ってる頃だね」などと述べている[9]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 「ミュージックバラエティ ●清潔・松竹を教育したポルノ派フランキー」『週刊平凡』1973年6月14日号、平凡出版、131頁。 
  2. ^ a b NEWS ONLINE 編集部 (2020年1月12日). “2/13は歌も達者な体技型コメディアン・フランキー堺の誕生日【大人のMusic Calendar】”. ニッポン放送 NEWS ONLINE. ニッポン放送. 2024年4月26日閲覧。
  3. ^ a b 【作品データベース】喜劇 男の泣きどころ - 松竹
  4. ^ 喜劇 男の泣きどころ”. 日本映画製作者連盟. 2024年4月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 「ニューズオブニューズ "まじめポルノ"って面白いの?」『週刊読売』1973年5月26日号、読売新聞社、34頁。 
  6. ^ a b c 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2004-2005』ぴあ、2004年、207頁。ISBN 978-4835606170 
  7. ^ a b c 瀬川昌治の乾杯ごきげん映画術|作品解説2/ラピュタ阿佐ケ谷泣いて!笑って!どっこい生きる!映画監督 瀬川昌治 - 神保町シアター
  8. ^ 喜劇 男の泣きどころ
  9. ^ a b c d e f 鈴木義昭「喜劇の名監督、登場! 瀬川昌治インタビュー」『映画秘宝』2006年12月号、洋泉社、88–89頁。 
  10. ^ 「映画界の動き 松竹、新ポルノ・チェーン発足/『グローバル・フィルム』設立」『キネマ旬報』1972年6月上旬号、キネマ旬報社、144頁。 「映画・トピック・ジャーナル 松竹映配、新会社・富士映画で再出発」『キネマ旬報』1973年10月上旬号、キネマ旬報社、180頁。 
  11. ^ 映画監督・瀬川昌治インタビュー 49本目の新作を準備する86歳の現役最高齢監督 「創作意欲がなくなるまでやめません」”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社 (2012年10月2日). 2024年4月26日閲覧。

外部リンク

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