善明寺 (東京都府中市)
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善明寺 | |
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善明寺本堂 | |
所在地 | 東京都府中市本町1-5-4 |
位置 | 北緯35度40分06.6秒 東経139度28分34.0秒 / 北緯35.668500度 東経139.476111度座標: 北緯35度40分06.6秒 東経139度28分34.0秒 / 北緯35.668500度 東経139.476111度 |
山号 | 悲願山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不詳 |
中興年 | 延享元年(1744年) |
中興 | 依田伊織 |
文化財 | 鉄造阿弥陀如来坐像(重要文化財) |
法人番号 | 1012405000341 |
概要
[編集]西園寺実満の墓(都旧跡 昭和14年5月1日指定)、依田伊織の墓(都旧跡 昭和14年5月1日指定)がある。[1][2]府中市民に親しまれている「府中小唄」の四番の歌詞が刻まれた石碑がある[3]。
歴史
[編集]創建年代は不明である。延暦寺の安楽律院を本山とする律寺であった[4]。
1720年(享保5年)、神道家の依田伊織は両親の菩提を弔うため、寺の創建を望んでいた。しかし、当時の幕府は寺の新設を制限していた。このことを知った当寺住職は伊織とともに寛永寺に嘆願したところ、伊織の屋敷跡に当寺を移転させることで、伊織の要望を満たす折衷案を出した。両者はこれを受け入れ、1744年(延享元年)に現在地に移転した[5][4]。依田伊織は本来は五十嵐氏で、諱は貞鐘、伊織は字、通称は定右衛門。後に徧無為と号した[6]。丈六の阿弥陀仏を善明寺に移すよう命があり、智堂和尚は叡山安楽院の指示を仰いだ上でこれに同意し、善明寺へ譲渡することとなった。これが善明寺の本尊である[7]。
文化財
[編集]- 鉄造阿弥陀如来坐像(大鉄仏)[8](重要文化財 大正2年4月14日指定)[9]坐高170.3cm、重さ380kg[10]畠山重忠が凪妻太夫の菩提を弔うために造らせた(真偽不明)。[11]
- 鉄造阿弥陀如来立像(小鉄仏)[12]。(重要文化財 大正2年4月14日指定。)[1]鉄造阿弥陀如来坐像の胎内仏とされる。像高99cm、重さ60kg[10]
交通アクセス
[編集]- 府中本町駅より徒歩4分。
脚注
[編集]- ^ a b 府中市史編さん委員会 編『府中市史 下巻』東京都府中市、1979−10−1、1289頁。
- ^ 府中市史編さん委員会 編『府中市史 上巻 』(3版)東京都府中市、1979−10−1、565頁。
- ^ “ぶらり国・府”. kokufu.tokyo. 2023年3月18日閲覧。
- ^ a b インデックス 編著『訪ねてみたい東京のお寺』インデックス、2006年、350-351p
- ^ 善明寺国分寺・府中観光振興連絡協議会「ぶらり国・府」
- ^ 遠藤吉次『府中市立郷土館紀要第8号』府中市教育委員会、1982年3月15日、96頁。
- ^ 『府中市立郷土館紀要 第8号』府中市教育委員会、1982年3月25日、112頁。
- ^ “鉄造阿弥陀如来坐像”. 東京都. 2023年10月29日閲覧閲覧。
- ^ 鉄造阿弥陀如来坐像文化庁
- ^ a b 『多摩のあゆみ 第159号』たましん地域文化財団、2015−8−15、93頁。
- ^ 『国宝 金仏阿弥陀如来の由来』武州府中町悲願山善明寺、1920−6、1−3頁。
- ^ “鉄造阿弥陀如来立像”. 東京都文化財データベース. 2023年10月29日閲覧。閲覧。
参考文献
[編集]- インデックス 編著『訪ねてみたい東京のお寺』インデックス、2006年