善友穎主
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 宝亀10年(779年) |
死没 | 仁寿元年6月29日(851年7月31日) |
官位 | 従五位下・摂津権介 |
主君 | 淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 佐夜部氏 |
善友 穎主(よしとも の ひでぬし)は、平安時代初期の貴族・儒学者。氏姓は佐夜部首のち善友朝臣。官位は従五位下・摂津権介。
出自
[編集]佐夜部氏(佐夜部首)は伊香我色雄命を祖とする[1]物部氏の同系氏族。子代部の一つと想定される佐夜部の伴造で、摂津国西成郡讃楊郷を本拠とした[2]。
経歴
[編集]若くして大学に入り、儒教の経典を学んで義理(人格の陶冶を目指す学問)に非常に通じていた[3]。淳和朝の天長元年(824年)山城少目に任ぜられる。
学者としては、承和4年(837年)直講、承和8年(841年)助教、承和14年(847年)大学博士に任ぜられるなど、仁明朝において大学寮で明経道の諸官を歴任する傍ら、承和12年(845年)外従五位下、承和15年(848年)内位の従五位下と昇進した。またこの間、承和6年(839年)には佐夜部首から善友朝臣に改姓し、摂津から左京四条二坊に編附されている。
嘉祥2年(849年)穎主は老齢のため致仕を願い出る。朝廷は老いた儒学者を憐れんで嘉祥4年(851年)正月に更に穎主を摂津権介に任じた[3]。同年6月29日卒去。享年72。最終官位は摂津権介従五位下。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 天長元年(824年) 2月:山城少目
- 承和4年(837年) 3月:直講
- 時期不詳:従六位下
- 承和6年(839年) 10月19日:佐夜部首から善友朝臣に改姓、摂津国から左京四条二坊に編附
- 承和8年(841年) 5月:助教
- 時期不詳:正六位上
- 承和12年(845年) 正月7日:外従五位下
- 承和14年(847年) 2月11日:大学博士
- 承和15年(848年) 正月7日:従五位下(内位)
- 嘉祥2年(849年) 5月:致仕
- 嘉祥4年(851年) 正月11日:摂津権介。6月29日:卒去(摂津権介従五位下)