善世豊永
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時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・伊豆守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
善世 豊永(よしよ の とよなが)は、平安時代初期の貴族。氏姓は掃守連のち善世宿禰。官位は従五位下・伊豆守。
出自
[編集]掃守氏(掃守連)は宮中の掃除・鋪設に携わった職業部である掃守部(掃部)の総領的伴造で[1]、天忍人命の後裔とされる天孫系氏族[2]。姓は造のち連で、八色の姓の制定により宿禰姓に改めた氏人もある。なお、豊永以前の善世宿禰姓の氏人として遠継(淳和朝~仁明朝)がいる[3]。河内国高安郡掃守郷を本拠地とした。
経歴
[編集]右少史在職中の承和2年(835年)一族の豊上らと共に掃守連から善世宿禰に改姓し、翌承和3年(836年)本拠を河内から改め右京四条二坊に貫附される。承和8年(841年)朔旦冬至に行われた叙位にて外従五位下に叙せられ、翌承和9年(842年)出雲介に任ぜられる。
文徳朝では仁寿元年(851年)大炊頭、斉衡3年(856年)造酒正と宮中の飲食に関わる京官を歴任し、この間の斉衡2年(855年)に内位の従五位下に叙せられている。文徳朝末の斉衡4年(857年)正月に一旦長門守に任ぜられるが、2月には右京亮に異動となり、結局同年9月には伊豆守に任ぜられ地方官に転じた。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:右少史
- 承和2年(835年) 2月13日:掃守連から善世宿禰に改姓
- 承和3年(836年) 8月14日:貫附右京四条二坊
- 時期不詳:正六位上
- 承和8年(841年) 11月20日:外従五位下
- 承和9年(842年) 12月10日:出雲介
- 仁寿元年(851年) 7月8日:大炊頭
- 斉衡2年(855年) 正月7日:従五位下
- 斉衡3年(856年) 2月8日:造酒正
- 斉衡4年(857年) 正月14日:長門守。2月16日:右京亮。9月27日:伊豆守