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唐津市立久里小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
唐津市立久里小学校
地図北緯33度24分22秒 東経129度59分19秒 / 北緯33.40617度 東経129.98862度 / 33.40617; 129.98862座標: 北緯33度24分22秒 東経129度59分19秒 / 北緯33.40617度 東経129.98862度 / 33.40617; 129.98862
過去の名称 久里村原尋常小学校
久里村原国民学校
久里村立原小学校
久里村立久里小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 唐津市
設立年月日 1901年(明治34年)4月1日
共学・別学 男女共学
学校コード B141220200080 ウィキデータを編集
所在地 847-0033
佐賀県唐津市久里1820番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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唐津市立久里小学校(からつしりつ くりしょうがっこう)は、佐賀県唐津市久里にある公立小学校

概要

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歴史

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1901年明治34年)に「久里村尋常高等小学校」(「原」の読みは「はる」)として創立。現校名になったのは1954年昭和29年)。2021年令和3年)に創立120周年を迎えた。

校章

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羽ばたく銀の羽を背景にして、校名の頭文字「久」が中央に置かれている。

校歌

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歌詞は2番まであり、校名の「久里小」が2番の歌詞中に登場する。旧校歌の一部を変更(「作礼山」を「夕日の山」に変更[1])して歌い継がれている。

校区

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住所表記で唐津市の後に「双水(そうずい)、夕日、久里、中原(なかばる)」の続く地域。中学校区は唐津市立鬼塚中学校[2]

沿革

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前史
  • 1887年明治20年)3月 - 小学校令により、尋常科(4年制)を設置の上、「久里両村組合立 尋常原小学校」が創立(「原」の読みは「はる」)。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「久里鏡両村組合立 原尋常小学校」に改称。
  • 1901年(明治34年)3月31日 - 久里村と鏡村が学校組合を解消。
正史
  • 1901年(明治34年)4月 - 「久里村 原尋常高等小学校」が創立。校地は現在で言う中原(なかばる)地区。
  • 実施年月日不詳 - 久里地区に分教場が開設される[3]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「久里村原国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科が改組され、「久里村立原小学校」に改称。
    • 国民学校高等科は青年学校と統合の上、新制中学校「久里村立久里中学校」に改組された。小学校に併設の形をとる。
    • 久里中学校は久里村全域を校区としていた。
  • 1948年(昭和23年)10月1日 - 久里村の分村が行われ、原地区(一部)、中原地区(一部)、柏崎地区の児童が鏡村立鏡小学校へ転出。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 「久里村立久里小学校」に改称。
  • 1952年(昭和27年)
  • 1954年(昭和29年)11月1日 - 鏡村が唐津市に編入され、「唐津市立久里小学校」(現校名)に改称。
  • 1980年(昭和55年)- 校舎が完成。
  • 2001年平成13年)- 創立100周年を迎えた。
  • 2017年(平成29年)- 校舎の大改修工事が完了。

交通アクセス

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最寄りの鉄道駅

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最寄りのバス停留所

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最寄りの幹線道路

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周辺

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  • 久里公民館
  • くりのみ保育園
  • 唐津市久里浄水場

脚注

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  1. ^ かつては作礼山は旧・久里村域(伊岐佐地区)に属する山であったが、1948年(昭和23年)の久里村分村により、伊岐佐地区が旧相知町に編入されたため、作礼山の部分が変更された。
  2. ^ 唐津市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則 - 唐津市ウェブサイト
  3. ^ 学校紹介(校歌) - 唐津市立久里小学校ウェブサイト

参考資料

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  • 「唐津市史 復刻版」(1991年(平成3年)3月1日発行, 唐津市)p.1186

関連事項

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外部リンク

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