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唐櫃山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
唐櫃山古墳

墳丘
所属 古市古墳群
所在地 大阪府藤井寺市国府
形状 帆立貝形古墳
規模 墳丘長53m 
埋葬施設 竪穴式石槨
出土品 甲冑・馬具・ガラス玉
築造時期 5世紀
史跡 国の史跡「唐櫃山古墳」
(史跡「古市古墳群」のうち)
有形文化財 石棺(藤井寺市指定文化財)
特記事項 墳丘の大部分は非現存
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唐櫃山古墳(からとやまこふん)は、大阪府藤井寺市国府にある古墳。形状は帆立貝形古墳古市古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され(史跡「古市古墳群」のうち)、石棺は藤井寺市指定有形文化財に指定されている。

市ノ山古墳の周濠外に位置し、1955年昭和30年)に道路工事により墳丘の過半が消滅した(墳丘の北側の一部が個人の居宅の庭園として残存している)。緊急の発掘調査により、石棺遺物が出土している。

概要

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墳丘長53m、後円部径38m、前方部幅21mを測る帆立貝形古墳である。府道堺大和高田線の敷設工事によって、後円部を含む墳丘の大半が破壊された。それに先立ち北野耕平らが発掘調査を実施した。後円部に主軸と平行した 竪穴式石槨が造られており、内部に家形石棺を内蔵していた。石棺はすぐ近くにあった長持山古墳の2つある石棺の1つと形態が酷似しており、石材も阿蘇溶結凝灰岩で共通するものであった。[1]

出土遺物と時期

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内部はすでに盗掘を受けていたが、棺内からは多数のガラス小玉や丸玉が、棺外からは金銅製三輪玉、鹿角刀装具、刀剣、鉄鏃,2領の3角板鋲留短甲馬具などが出土した。道路拡幅に伴う大阪府教育委員会による1981年2000年の発掘調査では後円部の裾部や周濠の一部とともに、円筒埴輪、朝顔形埴輪、家型埴輪、鶏形埴輪が出土しており市ノ山古墳と同時期の5世紀中葉と考えられている[2]。 また2009年にも同教育委員会により発掘調査されており、笠形埴輪と盾形埴輪、円筒埴輪などの破片が出土している。埴輪は土師質のものと須恵質のものがあり須恵質のものが目立つ。円筒埴輪は市ノ山古墳外堤のものと共通する特徴を持ち、共通の埴輪窯から供給されていた可能性が指摘されている。周濠部分から出土した葺石はその石材から7割が付近を流れる石川の川原、残りを大和川と原川の川原などから採石されたと推定された[3]

文化財

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国の史跡

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  • 唐櫃山古墳(史跡「古市古墳群」のうち) - 2015年(平成27年)3月10日、既指定の史跡「古市古墳群」に追加指定[4]

藤井寺市指定文化財

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  • 有形文化財
    • 唐櫃山古墳石棺(考古資料) - 2022年(令和4年)3月24日指定。

脚注

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  1. ^ 天野「基礎的研究」(2008)p72
  2. ^ 一瀬「基礎的研究」(2008)p.196
  3. ^ 西川「唐櫃山古墳」(2011)pp.14-34
  4. ^ 平成27年3月10日文部科学省告示第43号

参考文献

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  • 天野末喜「唐櫃山古墳」『近畿地方における大型古墳群の基礎的研究』 科学研究「近畿地方における大型古墳群の基礎的研究」(研究代表 白石太一郎)研究グループ発行所 株式会社六一書房 2008年 72頁
  • 一瀬和夫「唐櫃山」 同上書 196頁
  • 西川寿勝『唐櫃山古墳』大阪府教育委員会 2011年

関連項目

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外部リンク

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