唐崎信通
表示
(唐崎信道から転送)
唐崎 信通 | |
---|---|
別名 | 織部、上総介 |
個人情報 | |
生誕 |
幸之助、左門 元禄11年12月23日(1699年1月23日) |
死没 |
延享4年5月(1747年) 同上 |
墓所 | 安芸国賀茂郡竹原(広島県竹原市本町一丁目)長生寺 |
宗教 | 神道 |
配偶者 | 行友吉清娘 |
子供 | 唐崎士愛 |
両親 | 唐崎清継、吉井氏 |
宗派 | 垂加神道 |
主な著作 | 『辛斎説』 |
師 | 西宮筑後守、梨木祐之、松岡仲良、谷川士清 |
別名 | 織部、上総介 |
筆名 | 辛斎(号)、子濯(字) |
寺院 | 礒宮八幡神社 |
聖職 | 宮司 |
地位 | |
師 | 西宮筑後守、梨木祐之、松岡仲良、谷川士清 |
唐崎 信通(からさき のぶみち)は江戸時代の安芸国竹原礒宮八幡神社宮司。号は辛斎。梨木祐之、松岡仲良、谷川士清門下。弟は唐崎彦明、子は唐崎士愛。
生涯
[編集]元禄11年12月23日(1699年1月23日)安芸国賀茂郡礒宮八幡神社唐崎清継の長男として生まれた[1]。幼名は幸之助、左門、後に織部[1]。
享保2年(1717年)烏帽子・斎服を許され、享保3年(1718年)上総介に任じられた[2]。享保4年(1719年)京都に留学して2年間山崎闇斎門下西宮筑後守に学んだ[2]。享保8年(1723年)梨木祐之、享保19年(1734年)松岡仲良、元文以前谷川士清に入門し、寛保2年(1742年)1月士清から神道許状を受けた[2]。
竹原に帰郷後、『日本書紀』等を講義した[2]。延享元年(1744年)飛鳥井家に詩并序を献上し、士清から「風水草」の秘伝を受けた[3]。延享4年(1747年)5月急死し、長生寺に葬られた[3]。
著書
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 金本正孝「世に知られざる唐崎士愛の生涯 ―特に山崎闇斎百年祭の実行について―」『藝林』第45巻第2号、藝林會、1996年5月。
- 唐崎常陸介士愛顕彰会『唐崎常陸介資料集』 上、市立竹原書院図書館、2010年。
- 菅脩二郎「唐崎常陸介略年表」『唐崎常陸介資料集』 上、市立竹原書院図書館、2010年。