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和田恒輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

和田 恒輔(わだ つねすけ、1887年11月3日 - 1979年12月2日)は、日本実業家山口県出身。富士電機製造(現在の富士電機)社長、富士通信機製造(現在の富士通)社長、日本原子力研究所顧問原子力委員会参与等を務めた。正四位勲二等瑞宝章ドイツ連邦共和国功労勲章大十字章、藍綬褒章受章。

人物・経歴

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神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。同期の高畑誠一永井幸太郎出光佐三と親しかった。古河鉱業入社後、1923年富士電機製造に転籍。1931年富士電機製造取締役。1945年から富士電機製造社長を務め、シーメンスとの提携や、多角経営を進めた。1953年日本ポリドール取締役。1954年富士通信機製造社長[1]。1958年藍綬褒章受章[2]。1961年日本原子力研究所顧問[3]。1962年原子力委員会参与[4]。1964年勲三等瑞宝章受章[5]。1968年ドイツ連邦共和国功労勲章大十字章受章[6]。1971年勲二等瑞宝章受章[7]。1979年正四位[8]

脚注

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  1. ^ 和田恒輔鈴木商店記念館
  2. ^ 官報昭和33年本紙第9578号 448頁
  3. ^ 官報昭和36年本紙第10289号 178頁
  4. ^ 官報昭和37年本紙第10645号 439頁
  5. ^ 官報昭和39年本紙第11369号 6頁
  6. ^ 和田 恒輔(読み)ワダ ツネスケ0世紀日本人名事典の解説
  7. ^ 官報昭和46年号外第49号 7頁
  8. ^ 官報昭和54年本紙第15879号 7頁
先代
吉村萬治郎
富士電機製造社長
1945年 - 1958年
次代
金成増彦
先代
金成増彦
富士電機製造社長
1964年 - 1965年
次代
相田長平
先代
吉村萬治郎
富士通信機製造社長
1954年 - 1959年
次代
岡田完二郎