和田恒輔
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和田 恒輔(わだ つねすけ、1887年11月3日 - 1979年12月2日)は、日本の実業家。山口県出身。富士電機製造(現在の富士電機)社長、富士通信機製造(現在の富士通)社長、日本原子力研究所顧問、原子力委員会参与等を務めた。正四位勲二等瑞宝章。ドイツ連邦共和国功労勲章大十字章、藍綬褒章受章。
人物・経歴
[編集]神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。同期の高畑誠一、永井幸太郎、出光佐三と親しかった。古河鉱業入社後、1923年富士電機製造に転籍。1931年富士電機製造取締役。1945年から富士電機製造社長を務め、シーメンスとの提携や、多角経営を進めた。1953年日本ポリドール取締役。1954年富士通信機製造社長[1]。1958年藍綬褒章受章[2]。1961年日本原子力研究所顧問[3]。1962年原子力委員会参与[4]。1964年勲三等瑞宝章受章[5]。1968年ドイツ連邦共和国功労勲章大十字章受章[6]。1971年勲二等瑞宝章受章[7]。1979年正四位[8]。
脚注
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