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和波久十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和波久十郎
わなみ きゅうじろう
生年月日 1852年9月23日
出生地 日本の旗 日本 伊勢国員弁郡下笠田村
(現三重県いなべ市員弁町下笠田)
没年月日 (1919-08-03) 1919年8月3日(66歳没)
前職 農業
所属政党 (山下倶楽部→)
(憲政本党→)
議員同志倶楽部

選挙区 三重県第3選挙区
当選回数 2回
在任期間 1898年3月 - 1900年9月24日

員弁郡会議員

笠田村会議員

在任期間 1879年 - 1898年
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和波 久十郎(わなみ きゅうじろう[1]1852年9月23日(嘉永5年8月10日[2])- 1919年大正8年)8月3日[1][3])は、明治から大正前期の農業経営者・政治家衆議院議員

経歴

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伊勢国員弁郡下笠田村(三重県[1]員弁郡笠田村[4]大字下笠田[2][5]員弁町を経て現いなべ市員弁町下笠田)で生まれる。大鐘塾で学んだ[1][3]。農業を営む[1]。1885年(明治18年)三重県産米の品質向上を図るため、精撰米組合設立に参画し委員長となり、米質の向上に貢献した[5]

1879年(明治12年[注釈 1])三重県会開設から1898年(明治31年)まで県会議員に在任し、同常置委員も務めた[1][3][4][5]。その他、笠田村会議員、員弁郡会議員、同参事会員などにも在任した[5]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙で三重県第3区から山下倶楽部所属で出馬して初当選し[5][6]、続いて同年8月の第6回総選挙(三重県第3区、憲政本党)でも再選され[5][6]、その後、議員同志倶楽部に所属し、衆議院議員に連続2期在任した[1][3][4]。1900年(明治33年)9月24日、刑の確定により議員を失職した[1][7][8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『衆議院議員列伝』167頁では明治13年。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』718頁。
  2. ^ a b 『三重県紳士録 後編』590頁。
  3. ^ a b c d 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』47頁。
  4. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』497頁。
  5. ^ a b c d e f 『衆議院議員列伝』167頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』85頁。
  7. ^ 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』51-52頁。
  8. ^ 『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』238頁。

参考文献

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  • 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 服部英雄編『三重県紳士録 後編』三重県紳士録編纂会、1916年。
  • 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。