和気斉之
表示
時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・治部少輔 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 和気氏 |
和気 斉之(わけ の ただゆき)は、平安時代初期の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・治部少輔。
経歴
[編集]仁明朝後半の承和12年(845年)従五位下に叙爵し、承和14年(847年)刑部少輔に任ぜられる。嘉祥元年(848年)仁明天皇に対する大不敬の罪を犯したため、本来は絞首刑に当たるところ、勅により罪を一等減ぜられ、伊豆国への流罪に処された。またこの時に、親族の大判事・讃岐永直も連座して土佐国への配流となった[1]。
嘉祥3年(850年)仁明天皇が重態に陥る中で恩赦が行われ、讃岐永直と共に入京を赦される。仁寿3年(853年)従五位下に復爵され、翌仁寿4年(854年)治部少輔に任ぜられている。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和12年(845年) 正月7日:従五位下
- 承和14年(847年) 2月11日:刑部少輔
- 嘉祥元年(848年) 12月4日:流罪(伊豆国)
- 嘉祥3年(850年) 3月18日:聴入京
- 仁寿3年(853年) 5月13日:復爵(従五位下)
- 仁寿4年(854年) 2月16日:治部少輔
脚注
[編集]- ^ 『続日本後紀』嘉祥元年12月30日条