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和歌木山栄一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

和歌木山 栄一(わかきやま えいいち、1915年1月17日[1] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士春日野部屋所属[1][2]。本名は島 栄一(しま えいいち)[1][2]和歌山県和歌山市出身[1][2]。最高位は東十両3枚目[1][2]。得意技は突っ張り、右四つ[3]

経歴

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春日野部屋に入門し、1937年1月場所に本名の「島」で初土俵を踏む。翌年1月場所に序二段に昇進した際に「和歌昇」と四股名を改める。入門から3年後の1940年1月場所に十両に昇進する[1][2]が、病気のため全休、1場所で幕下に陥落した。幕下に落ちて四股名を「和歌木山」と改める。1942年5月場所に十両に復帰するが、この場所も6勝9敗と負け越し、再び幕下に陥落した。1943年5月場所に三度目の十両昇進を果たし、9勝6敗と十両で初めて勝ち越した。その後は十両の地位にあったが、1944年5月場所後に応召される。応召後は再び土俵に上がることなく1945年11月場所限りで廃業した[1][2]

主な成績

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  • 通算成績:77勝46敗33休 勝率.626
  • 十両成績:27勝28敗25休 勝率.491
  • 現役在位:19場所
  • 十両在位:8場所
  • 各段優勝
    • 序二段優勝:1回(1938年1月場所)

場所別成績

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和歌木山 栄一
春場所 夏場所 秋場所
1937年
(昭和12年)
(前相撲) 西序ノ口6枚目
6–1 
x
1938年
(昭和13年)
西序二段4枚目
優勝
6–1
東三段目16枚目
3–4 
x
1939年
(昭和14年)
東三段目16枚目
6–1 
東幕下21枚目
6–2 
x
1940年
(昭和15年)
東十両14枚目
休場[4]
0–0–15
西幕下8枚目
休場
0–0–8
x
1941年
(昭和16年)
西幕下39枚目
5–3 
東幕下24枚目
5–3 
x
1942年
(昭和17年)
西幕下14枚目
7–1 
東十両14枚目
6–9 
x
1943年
(昭和18年)
東幕下2枚目
6–2 
東十両8枚目
9–6 
x
1944年
(昭和19年)
西十両3枚目
8–7 
東十両3枚目
4–6 
西十両5枚目
休場[5]
0–0–10
1945年
(昭和20年)
x 西十両
 
西十両
引退
0–0–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 島 栄一(しま えいいち)1937年1月場所 - 1937年5月場所
  • 和歌昇 栄一(わかのぼり えいいち)1938年1月場所 - 1940年1月場所
  • 和歌木山 栄一(わかきやま えいいち)1940年5月場所 - 1945年11月場所

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、177頁。
  2. ^ a b c d e f 『昭和の大相撲 資料編』 312頁。
  3. ^ 相撲人名鑑(和歌木山 栄一)
  4. ^ 内臓疾患により初日から全休
  5. ^ 応召により初日から全休

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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外部リンク

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