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和智龍一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

和智 龍一(わち りょういち、1916年9月17日 - 1982年1月25日)は、日本弁護士

略歴

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(出典[1]

九州弁護士会連合会理事長を務めた弁護士和智昻の長男として、福岡市因幡町(現在の中央区天神)に生まれる。1934年福岡県中学修猷館[2]、1936年旧制福岡高等学校文科乙類[3]を経て、1941年東京帝国大学法学部法律学科を卒業[4]

東大卒業後、日本窒素肥料(現・チッソ)本社調査部に勤務するが、1941年末に応召し中国、南方、ビルマを転戦して、1947年に復員する。

1950年弁護士登録し、その後、福岡県弁護士会会長、同常議員会議長、九州弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会副会長などを歴任したほか、福岡県教育委員、福岡家庭裁判所調停委員福岡大学教授なども務めた。民事訴訟を主に担当し、水俣病裁判においてチッソの主任弁護人を務めた。

愛児の水死事故を機縁として、「がんの子供を守る会」九州支部の初代支部長となり、小児がんの潜在患者の発見、集中治療センターづくりに奔走し、これが福岡市立こども病院誕生の糸口となる。

父・昻と共同の法律事務所を持ち、親子2代生粋の弁護士として知られた。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 『福岡県百科事典』1124頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員29頁
  3. ^ 『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校編、1941年)192頁
  4. ^ 『東京帝国大学一覧(昭和16年度)』(東京帝国大学、1941年)卒業生姓名602頁