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周襄吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

周 襄吉(しゅう じょうきち 1907年5月12日 - 1978年4月25日)日本の西洋画家モダンアート作家。映画美術作家。教育者。

経歴

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1907年愛媛県今治市に生まれる。1924年に上京、川端画学校で学んだ後、1925年に東京美術学校西洋画科に入学。1927年、在学中に第14回二科展で『草花の園』が初入選した。1931年松竹映画に入社し美術を担当、1938年に退社。1951年にはモダン・アート協会創立に参加し、毎年、モダンアート展に出品するとともに協会の発展に尽力した。1958年から1973年まで文化学院美術科講師を勤めた[1]

1978年4月25日、肺がんのため神奈川県川崎市関東労災病院にて死去。70歳。葬儀はモダンアート協会葬として行われた[2]

美術担当として参画した映画

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  • 『限りなき鋪道』(1934年) - 舞台設計を担当
  • 進軍の歌』(1937年)
  • 『水郷情歌 湖上の靈魂』(1937年)
  • 『女醫絹代先生』(1937年)
  • 『蛍の光』(1938年)
  • 五人の兄妹 』(1939年)
  • 『お母さん』(1940年)

脚注

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  1. ^ 周襄吉”. 『日本美術年鑑』昭和54年版 (2014年). 2021年5月19日閲覧。
  2. ^ 訃報欄 周襄吉(しゅう じょうきち=画家、モダンアート協会会員)『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月21日夕刊、3版、11面

関連項目

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