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周法高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
周 法高
人物情報
生誕 (1915-11-06) 1915年11月6日
中華人民共和国の旗 中国 江蘇省塩城市東台
死没 1994年6月25日(1994-06-25)(78歳没)
出身校 中央大学北京大学
学問
研究分野 言語学文献学
研究機関中央研究院歴史語言研究所香港中文大学東海大学
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周法高
各種表記
繁体字 周法高
簡体字 周法高
拼音 Zhōu Fǎgāo
ラテン字 Chou Fa-kao
和名表記: しゅう ほうこう
発音転記: ジョウ・ファーガオ
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周 法高(しゅう ほうこう、1915年11月6日1994年6月25日)は、中国台湾言語学者文献学者中国語音韻史文法金文訓詁などさまざまな分野に数多くの著書・論文を残した。

経歴

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1915年、江蘇省東台(現在の塩城市の一部)に生まれた。1935年に南京中央大学に入学したが、日中戦争によって中央大学が奥地に疎開移転すると、それに従って重慶に移った。1939年に中央大学を卒業し、西南連合大学[1]北京大学文科研究所に入学した。1941年に卒業した後、中央研究院歴史語言研究所の助理研究員となった[2]

1945年の日中戦争終結後は、疎開していた中央研究院歴史語言研究所の南京帰還とともに移動。1948年、研究所の副研究員に昇進。1948年に研究所は台湾へ移転し、1949年に渡江戦役国民政府も首都・南京が陥落したことから自身も台湾に移った。1953年、研究員に昇進。

1964年より香港中文大学教授。1978年に台湾に戻り、再び中央研究院で働いた。1985年に中央研究院を退職した後は台湾の東海大学の教授をつとめ、没するまでその職にあった。

研究内容・業績

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  • 『中国古代語法』(中央研究院歴史語言研究所専刊39、1959-1962)は造句編(上)・構詞編・称代編からなる大著で、主に先秦の文献の文法を扱っている。
  • 『中国語言学論文集』(聯経出版事業公司1975)に音韻・文法関係の主要な論文がまとめられている。
  • 『中国音韻学論文集』(香港中文大学出版社1984)は、周法高が1970年前後に行った独自の上古音の再構に関する論文を含む。この再構音を周法高の学生の手によって董同龢『上古音韻表稿』の形式に整理したものが『周法高上古音韻表』(1973)である。しかし周法高の再構音はあまり評価が高くない[3]
  • 『金文詁林』14巻、附録2巻(共著、香港中文大学出版社1974-1975)は、『金文編』の各字の下に諸家の説を集めたものである。

脚注

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  1. ^ 北京と天津にあった3大学(国立北京大学・国立清華大学・私立南開大学)が疎開先で組織した大学。
  2. ^ 日中戦争の間、研究所は、長沙昆明四川省南渓県李荘を転々とした。
  3. ^ 1986年の李方桂インタビューでの周法高の評価を参照。Fang-kuei Li (1986年). “Linguistics East and West: American Indian, Sino-Tibetan, and Thai : Chou Fa-kao”. University of California. 2015年2月25日閲覧。

外部リンク

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