呉笈孫
表示
呉笈孫 | |
---|---|
Who's Who in China 3rd ed. (1925) | |
プロフィール | |
出生: | 1875年(清同治14年) |
死去: |
1947年(民国36年) 中華民国 |
出身地: | 清河南省光州固始県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 吴笈孙 |
簡体字: | 吳笈孫 |
拼音: | Wú Jísūn |
ラテン字: | Wu Chi-sun |
和名表記: | ご きゅうそん |
発音転記: | ウー ジースン |
呉 笈孫(ご きゅうそん、繁体字: 吳笈孫; 簡体字: 吴笈孙; 繁体字: 吳笈孫; 拼音: Wú Jísūn; ウェード式: Wu Chi-sun)は、清末民初の政治家。字は世湘。
事跡
[編集]清末に民政部尚書徐世昌の下で民政部民治司員外郎となり、徐が東三省総督となると、呉笈孫もこれに随行して衙門文案に任ぜられる。徐が京師に呼び戻されると呉もこれに随従し、郵伝部尚書となった徐の下で呉も地位を得た。
中華民国成立後に呉笈孫はいったん引退した。しかし1914年(民国3年)5月、徐世昌が北京政府で政事堂国務卿(首相の地位)に任ぜられると、呉もその下で政事堂司務所所長として復帰した。1916年(民国5年)5月、国務院印鋳局局長となった。1918年(民国7年)10月、徐世昌が大総統に就任すると、呉笈孫が総統府秘書長に起用されている。呉は南北和平交渉に参与するなど、徐を補佐した。1922年(民国11年)6月、徐の大総統辞任に伴い、呉も秘書長を退いた。
1947年(民国36年)、死去。享年73。
参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- Who's Who in China 3rd ed.. China Weekly Review. (1925)
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
|
---|