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呉祺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

呉 祺(ご き、生没年不詳)は、中国三国時代政治家揚州呉郡呉県の人。

生涯

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伯母の呉夫人孫堅の妻で、孫策孫権らの母。父の呉景は孫堅の時代から武将として活躍した。

呉祺は、孫権より訴訟の取り捌きを任され、張温顧譚と仲が良かった。

赤烏13年(250年)頃[1]二宮事件孫覇に与した甥の呉安[2]が粛清されると、呉祺が呉氏の後継ぎとなり、都亭侯に封じられた。呉祺の死後は子の呉纂が後を継いだ。

出典

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脚注

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  1. ^ 赤烏13年に孫覇が自殺を命じられ(『三国志』呉書 呉主伝)、その後で呉安らが誅殺されている(同孫覇伝)。
  2. ^ 兄の呉奮の子。