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呉昌熾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉昌熾
各種表記
漢字チュノム 呉昌熾
北部発音: ゴ・スオン・シー
日本語読み: ご しょうし
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呉 昌熾(ご しょうし、ゴ・スオン・シー、ベトナム語Ngô Xương Xí / 吳昌熾、生没年不詳)は、ベトナム呉朝の第4代君主十二使君の一人。呉使君ベトナム語: Ngô Sứ Quân)とも称された。

生涯

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天策王呉昌岌の子として南冊江(現在のハイズオン省)に生まれる。965年に叔父の南晋王呉昌文が戦死すると、翌年に平橋(現在のタインホア省チェウソン県)を拠点として使君を称した。しかし各地の使君は自立して、呉昌熾の命には従わなくなっていた。勢力を増した華閭丁部領から宴会に招かれ、脅されて屈服した。

先代
後呉王
呉朝の第4代君主
966年 - 968年
次代
滅亡