呂好問
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呂 好問(りょ こうもん、治平元年(1064年)- 紹興元年(1131年))は、北宋末期から南宋初期の官人。字は舜徒。呂希哲の子。呂本中の父。呂祖謙・呂祖倹の曾祖父にあたる。
経歴
[編集]父の恩蔭によって入官したが、祖父の呂公著以来の旧法党であったため、その盛衰とともに浮き沈みした。
欽宗の時代に御史中丞から吏部侍郎に進む。靖康の変の時、金軍に連行されるのを免れて張邦昌の楚に仕えたが、張邦昌に対して趙構(後の南宋高宗)に帝位を返上するように勧めた。その功績によって高宗の即位後に尚書右丞(副宰相格)に進み、東莱郡侯に封じられた。
後に靖康の変当時の行動を李綱に糾弾されて失脚し、紹興元年(1131年)に失意のうちに68歳で没した。