吾妻光俊
吾妻 光俊(あづま みつとし、1903年11月9日 - 1973年4月21日)は、日本の法学者。専門は民法・労働法・社会保障法。一橋大学名誉教授。末弘厳太郎門下。弟子に蓼沼謙一、横井芳弘など。
人物
[編集]東京で横田秀雄(大審院院長・民法学者)の子として生まれる。1925年第一高等学校卒業。1928年東京帝國大學法学部法律学科卒業。同法学部助手。1930年東京商科大学附属商学専門部専任講師。1935年東京商科大学附属商学専門部教授。1936年東京商科大学商学部助教授。1936年労働法研究のためドイツ・イタリア・アメリカ合衆国に留学( - 1939年)。1940年東京商科大学学生主事( - 1941年)。1941年東京商科大学商学部教授。
戦後は民法については概説書を著したほかは、労働法研究に転じ、孫田秀春が始め、戦時中は消滅状態にあった労働法講座を復活させ担当した[1]。1949年一橋大学法学社会学部教授。1951年一橋大学法学部教授。1973年一橋大学停年退官。同名誉教授。中央大学法学部教授に就くが、間もなく逝去した[2][3]。
この他、1933年中央大学法学部兼任講師( - 1941年)。1941年中央大学法学部兼任教授( - 1973年)。1950年中央労働委員会公益委員( - 1973年)。司法試験第二次試験考査委員(旧司法試験)(1950年 - 1958年、1962年 - 1973年)[4]。
門下生
[編集]ゼミの指導学生に蓼沼謙一(第8代一橋大学学長、元労働法学会代表理事)、横井芳弘(中央大学名誉教授、元労働法学会代表理事)、坂本重雄(静岡大学名誉教授、元労働法学会代表理事)[5]、喜多実(元南山大学教授)[6]、本田尊正(元青山学院大学教授)[7]、早川章(元運輸省地域交通局長、元東京空港交通会長)[8]、竹内規浩(元スクワイヤー・サンダース・デンプシー(現スクワイヤ・パットン・ボッグス)弁護士、元米国ブリヂストン社長)[9]、大前和俊(元横浜地方裁判所横須賀支部長)[9]など。
親族
[編集]- 父は横田秀雄(大審院院長・民法学者)、兄は横田正俊(大審院判事・最高裁判所長官)、弟は横田雄俊(弁護士・太平洋戦争にて戦死)、母方の叔父は霜山精一(大審院院長)、霜山徳爾(心理学者)、妻の父は吾妻勝剛(元京都大学教授・医師)がいる。
エピソード
[編集]参考文献
[編集]- 石井保雄「吾妻光俊の戦後労働法学 : ある近代主義者の肖像」獨協法学(69) 2006
- 石井保雄「戦時期の吾妻光俊の軌跡 : 「労働力のコントロール」理論前史」獨協法学(71) 2007