君島五郎
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君島 五郎(きみしま ごろう、前名・寅一郎[1]、1866年9月15日(慶應2年8月7日)[2] - 没年不明)は、日本の温泉旅館業者、会社役員、政治家。栃木県会議員[2][3]。
人物
[編集]先代君島五郎の長男[1][2][3]。君島家は塩原温泉草分けの旧家で、代々「明賀屋」と称し、温泉宿業を営む[1][2][4]。1876年、家督を相続し、前名・寅一郎を改め襲名する[1][2][4]。
祖業を継ぎ、温泉旅館を経営し、同時に同温泉の改良発展に尽瘁する[1][2][4]。また塩原電車取締役である[2][4]。住所は栃木県塩谷郡塩原町[1]、那須郡西那須野町[2][4](現那須塩原市)。
家族・親族
[編集]- 君島家
- 親戚
- 植竹三右衛門(栃木県多額納税者、味噌醤油醸造業、大地主、貴族院議員、資産家、篤農家、栃木県農工銀行頭取) - 妻・マツは君島五郎の従姉[1][2]。
- 植竹三右衛門(栃木県那須郡川西町長、栃木県多額納税者、帝國造林、東野鉄道各社長、植竹商業代表取締役)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第9版』キ77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第10版 上』キ99 - 100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月5日閲覧。
- ^ a b 『野州名鑑』1043 - 1044頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第11版 上』キ126頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月17日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』キ85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 下野新聞株式会社編『野州名鑑』下野新聞、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。