向山満
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向山 満(むこうやま みつる、1942年7月5日[1] - 2012年11月18日)は日本のコウモリ類研究者。
人物
[編集]1942年新潟県生まれ。1965年弘前大学卒業。兵庫教育大学大学院修士課程修了[2]。青森県立三戸高等学校教諭を務めた後、定年退職[3]。
コウモリなど調査やフェスティバル参加の例としては、1991年11月オオサンショウウオ三重県(案内は佐野明)[4]、1993年8月天間館神社(同行者は三笠暁子、重昆達也、水野昌彦)[5][6]、1995年8月コウモリフェスティバル乗鞍高原[7]、1994年日本哺乳類学会東京農工大学大会[8]、2008年2月24日宮古市に遠藤公男を訪問[9]、2001年7月7日天間館神社(同行者は福井大ほか)[10]、2003年5月31日柏崎[11]、2004年対馬(同行者は河合久仁子、福井大、赤坂卓美)[12]、などがある。
NPO法人コウモリの保護を考える会元理事長、NPO法人おおせっからんど元理事長。2012年11月18日、秋田県北秋田市の山中でコウモリ保護活動中の事故により逝去[13][1]。コウモリの会(2003年の事務局長は水野昌彦[14])は、コウモリ通信Vol.20.No.1(通巻25号)[2013年5月]を「向山満先生追悼特集」として 発行した[15]。
論文
[編集]- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所
- 向山満 (1985), “天間館神社のトウヨウヒナコウモリ”, 動物と自然 (ニュ-・サイエンス社) 15 (2): 22-26
- 沢田勇; 向山 満 (1986), “21. ホンドノレンコウモリに寄生していた条虫Insectivorolepis sp.について(動物分類学会第22回大会記事)”, 動物分類学会誌 (日本動物分類学会) 33: 58
- 向山満; 奈良典明; 佐藤巧; 斉藤宗勝; 村田孝嗣; 阿部東; 森治 (1994), “自由集会報告(日本哺乳類学会1993年度大会自由集会の報告),白神山地の自然—その保護と利活用にむけて”, 哺乳類科学 (日本哺乳類学会) 33 (2): 123-125
- 小原良孝; 笹森耕二; 向山 満 (1997), “青森県におけるイイズナの生息記録と分布状況”, 哺乳類科学 (日本哺乳類学会) 37 (1): 81-85
- 向山満 (2004), “秋田県森吉山ダムのコウモリ類保全施設と利用状況 (特集 ダムと自然環境) -- (個別ダムの取り組み)”, 河川 (日本河川協会) 60 (6): 50-54
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.576
- ^ 構造や移転計画を指導いただいたコウモリの専門家[1]
- ^ 向山 満. コウモリの調査方法と保全対策[2]
- ^ 佐野明 (2013-05). “向山満先生が目指したもの”. コウモリ通信 20 (1): 6.
- ^ 三笠暁子 (2013-05). “コウモリ界の登竜門”. コウモリ通信 20 (1): 10.
- ^ 重昆達也 (2013-05). “19年間ありがとうございました”. コウモリ通信 20 (1): 1−12.
- ^ 箕輪一博 (2013-05). “向山満先生を偲ぶ”. コウモリ通信 20 (1): 13.
- ^ 林聡彦 (2013-05). “向山さんありがとう”. コウモリ通信 20 (1): 9.
- ^ 作山宗樹 (2013-05). “向山先生との思い出と学んだこと”. コウモリ通信 20 (1): 7−8.
- ^ 福井大 (2013-05). “世界に誇れる業績”. コウモリ通信 20 (1): 4-5.
- ^ 箕輪一博[撮影] (2013-05). “思い出の写真集”. コウモリ通信 20 (1): 14−16.
- ^ 河合久仁子 (2013-05). “鮮烈な印象と遺されたもの”. コウモリ通信 20 (1): 2-3.
- ^ 向山満先生のご冥福を心よりお祈りいたします
- ^ 水野昌彦 (2013-05). “年の離れた飲み友達として”. コウモリ通信 20 (1): 3−4.
- ^ 三笠暁子 (2013-05). 山本輝正,三笠暁子,水野昌彦. ed. “編集後記”. コウモリ通信 20 (1): 16.