名川保男
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名川 保男(ながわ やすお、1896年(明治29年)3月25日[1] - 1975年(昭和50年)5月25日)は、日本の弁護士[2]、東京弁護士会会長、国家公安委員会委員長代理、明治大学専務理事、東京音楽大学理事長[3]。
衆議院議員、鉄道政務次官、第一東京弁護士会会長を務めた名川侃市の弟。
来歴・人物
[編集]広島県生まれ。1919年(大正8年)明治大学法学部卒業[4]。1922年(大正11年)千葉地方裁判所判事に任官。1927年(昭和2年)に弁護士となる。事務所は京橋区銀座[4]。
帝人事件、炭鉱国管疑獄、昭和電工事件、日殖事件、造船疑獄といった汚職事件の弁護人を務めた[5]。
1955年(昭和30年)東京弁護士会会長に就任。日本弁護士連合会副会長を務めた。
1962年(昭和37年)9月3日に国家公安委員に就任。1972年(昭和47年)9月2日まで2期10年務めた。
明治大学専務理事、東京音楽大学理事長も務めた。
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、な1頁。
- ^ 『日本紳士録 第40版』東京ト、ナの部393頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月1日閲覧。
- ^ 歴代所長、名川・岡村法律事務所公式サイト。
- ^ a b 『明治大学校友会員名簿』266頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月26日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1962年8月26日付朝刊
参考文献
[編集]- 『明治大学校友会員名簿』明治大学校友会本部、1935年。
- 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
外部リンク
[編集]- 名川・岡村法律事務所 二代所長として紹介