コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

蓬左文庫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名古屋市蓬左文庫から転送)
名古屋市蓬左文庫
Hosa Library, City of Nagoya
登録有形文化財 蓬左文庫旧書庫 地図
蓬左文庫の位置(名古屋市内)
蓬左文庫
名古屋市内の位置
蓬左文庫の位置(愛知県内)
蓬左文庫
蓬左文庫 (愛知県)
蓬左文庫の位置(日本内)
蓬左文庫
蓬左文庫 (日本)
施設情報
愛称 蓬左文庫
前身 徳川黎明会
専門分野 尾張徳川家の旧蔵書
事業主体 愛知県名古屋市
開館 1950年昭和25年)
所在地 461-0023
愛知県名古屋市東区徳川町1001番地
位置 北緯35度11分0.22秒 東経136度55分56.91秒 / 北緯35.1833944度 東経136.9324750度 / 35.1833944; 136.9324750
外部リンク 蓬左文庫 HP
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示

蓬左文庫(ほうさぶんこ)、名古屋市蓬左文庫(なごやしほうさぶんこ、英称:Hosa Library, City of Nagoya)は、愛知県名古屋市東区徳川町の徳川園にある、尾張徳川家の旧蔵書などの文献資料を所蔵する公開文庫

概要

[編集]

1616年元和元年)に名古屋城(別名「蓬左城」)内に設けられた同家の書物庫「御文庫」を起源とし、1912年大正元年)頃徳川義親により「蓬左文庫」と命名。1950年昭和25年)に名称と蔵書の一部が名古屋市に売却譲渡され、1978年昭和53年)以降は名古屋市博物館の分館として書籍の収集・保管、一般公開を行っている。2016年平成28年)現在の蔵書数は約11万点。

沿革

[編集]

御文庫

[編集]

蓬左文庫は、1616年(元和元年)、徳川家康の死去に際し、家康の九男で尾張徳川家初代の徳川義直に約3,000冊の蔵書(駿河御譲本)が分与されたことを機に、名古屋城内に創設された「御文庫」(尾張藩文庫)を起源としている[1][2]

この文庫は義直の「決して門外不出とすべからず」との言に基づき、江戸時代から公開されていた。本居宣長が『古事記伝』執筆の際、資料を閲覧するために利用したという話もある[要出典]

その後、歴代の尾張藩主によって蔵書数が増えていき、幕末期の蔵書数は約5万点と推定されていたが、明治維新後の混乱期に約3分の1が流出した[1]

蓬左文庫

[編集]

1912年(大正元年)頃、尾張徳川家の第19代当主・徳川義親により蓬左文庫と命名される[3]。義親は蓬左文庫の蔵書を整理し[2]1931年(昭和6年)12月、財団法人尾張徳川黎明会を設立して同財団に尾張徳川家伝来の什宝や美術品とともに文献資料を寄付した[4]

このうち文献資料約10万点は、1932年(昭和7年)に財団の施設として東京府高田町雑司ヶ谷に改組・新築された蓬左文庫に移され、1935年(昭和10年)から一般公開されることになった[1][5]。しかし開館後10年足らずで戦争のため休館することになり、のちに名古屋市に移管されるまで、蓬左文庫は閉館したままとなっていた[1]

名古屋市への移管

[編集]
徳川美術館と廊下で連結

1950年(昭和25年)に、戦後の社会的混乱、経済的困窮を背景に、蓬左文庫の名称と蔵書・史料のうち約6.4万冊は徳川黎明会から名古屋市に売却譲渡・移管された[6][4]。このとき、藩政に関する文献資料は、同年に蓬左文庫から分離独立した徳川林政史研究所で別途保存・研究・公開されることになった[4]

1951年(昭和26年)以降、蓬左文庫は名古屋市が管理する徳川園(旧尾張徳川家大曽根邸)の敷地内に設置され、一般公開が開始された[1][6]

1978年(昭和53年)に名古屋市博物館の開館に伴ってその分館となり、2016年(平成28年)現在に至っている[1]

2004年(平成16年)、展示室を拡大整備して同じ敷地内の徳川美術館と建物を連結し、リニューアルオープンした。

蔵書

[編集]

蔵書の大部分は和漢の古典や古文書、古絵図、尾張藩・尾張徳川家関連の資料で[2]重要文化財の『続日本紀』、『侍中群要』、『斉民要術』、『河内本源氏物語尾州家本源氏物語)』、『論語集解』などが含まれている[2]2016年(平成28年)現在の蔵書数は、尾張徳川家伝来の古書など約11万点で、古地図などの絵図2千枚以上が含まれる[1]

重要文化財(国指定)

[編集]

名古屋市所有、蓬左文庫保管の重要文化財は以下のとおり[7]

  • 続日本紀(金沢文庫本)30巻 附:慶長補写本 10巻
  • 源氏物語(河内本)23冊 正嘉二年北条実時奥書 附:近衛信尹筆者極1巻、古筆了佐筆者目録1巻
  • 侍中群要(金沢文庫本)10巻 嘉元四年北条貞顕書写 ‐ 1935年(昭和10年)頃、蓬左文庫の一般公開にあたり、近衛文麿から交換で入手したとされる[8]
  • 斉民要術(金沢文庫本)22巻 文永十一年北条実時奥書
  • 論語集解 10冊 元応二年書写奥書
  • 宋版太平聖恵方(金沢文庫本)24冊 附:慶長補写本27冊、聖恵方正誤2冊
  • 朝鮮版高麗史節要(銅活字本)35冊 景泰四年四月印記

建物

[編集]

蓬左文庫旧書庫の建物は、2011年(平成23年)に名古屋市の登録地域建造物資産に登録されている[9]

交通手段

[編集]

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
  • 名古屋市 (2016年). “蓬左文庫トップページ”. 名古屋市蓬左文庫. 2016年9月29日閲覧。
  • 名古屋市 (2015年). “蓬左文庫トップページ > 蓬左文庫の沿革”. 名古屋市蓬左文庫. 2016年9月29日閲覧。
  • 林政史研究所 (2013年). “徳川林政史研究所ホーム > 徳川林政史研究所の歴史”. 徳川林政史研究所. 2016年9月29日閲覧。
  • 小田部, 雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年。ISBN 4250880192 

関連文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 名古屋市 2016.
  2. ^ a b c d 小田部 1988, p. 30.
  3. ^ 名古屋市 (2015)。名古屋城の別名である蓬左城にあった書物を伝える文庫、の意(名古屋市 2016)。なお、「蓬左」は名古屋の別名で、「蓬莱の宮(熱田神宮)の左側にある町」を意味する(同)。
  4. ^ a b c 林政史研究所 2013.
  5. ^ 林政史研究所 (2013)。什宝や美術品などは1935年11月に愛知県名古屋市に竣工した徳川美術館で保管・一般公開されることになった(同)。
  6. ^ a b 名古屋市 2015.
  7. ^ 『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)、p.142。他に以下を参照。
  8. ^ 小田部 1988, p. 47.
  9. ^ 名古屋市 (2016年9月12日). “登録地域建造物資産一覧(平成28年9月12日現在)” (PDF). 名古屋市. 2016年11月12日閲覧。

外部リンク

[編集]