名古屋市立笠寺小学校
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名古屋市立笠寺小学校 | |
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北緯35度05分25秒 東経136度56分05秒 / 北緯35.09034968度 東経136.93484843度座標: 北緯35度05分25秒 東経136度56分05秒 / 北緯35.09034968度 東経136.93484843度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
校訓 | 強く 正しく むつまじく |
設立年月日 | 1907年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210001690 |
所在地 | 〒457-0056 |
愛知県名古屋市南区本星崎町本城765 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
名古屋市立笠寺小学校(なごやしりつ かさでらしょうがっこう)は、愛知県名古屋市南区本星崎町にある公立小学校。
概要
[編集]- 阿原町の一部、石元町1-3丁目、石元町4丁目の一部、粕畠町、柵下町、塩屋町5丁目の一部、塩屋町6丁目、立脇町、千竈通6丁目の一部、千竈通7丁目、寺部通、道全町、鳥山町、星崎町字阿原の一部、星崎町字殿海道、星園町、 星宮町、本地通、本城町、前浜通2-7丁目、松池町2・3丁目、松城町、本星崎町、元塩町6丁目などが通学区域であり、公立中学校の進学先は名古屋市立本城中学校である[1]。
- 校地は星崎城址の一部である。
沿革
[編集]笠寺小学校の創立は1907年(明治40年)である。これは愛知郡笠寺村の4つの学校(鳴尾尋常小学校、源柴尋常小学校、笠寺尋常小学校、星崎尋常小学校)を統合し、新たに笠寺尋常小学校が開校した年である。ここではそれ以前についても記述する。
- 1872年(明治5年)10月5日 - 北柴田村に隆訓学校が開校する。
- 1873年(明治6年)
- 10月1日 - 南野村に星崎義校が開校する。
- 11月10日 - 隆訓学校が第2中学区第21番小学隆訓学校に改称する。
- 11月28日 - 星崎義校が第2中学区第20番小学星崎学校に改称する。
- 1876年(明治9年) -
- 隆訓学校が白水学校に改称する。
- 笠寺村に松風学校が開校する。
- 牛毛荒井村、北柴田村、柴田屋新田、鳴海伝馬新田、源兵衛新田、丹後江新田、神徳新田の一部が合併し、鳴尾村となる
- 1878年(明治11年) - 本地村に本地学校、鳴尾村に鳴尾学校が開校する。
- 1878年(明治11年)12月20日 -
- 南野村、大江新田、繰出新田、八左衛門新田が合併し、星崎村となる。
- 本地村、水袋新田、宝生新田、豊宝新田が合併し、本星崎村となる。
- 笠寺村、加福新田、又兵衛新田、又兵衛新々田が合併し、前浜村となる。
- 1887年(明治20年)4月 -
- 松風学校と本地学校が合併し、尋常小学前浜学校となる。
- 星崎学校、白水学校、鳴尾学校が合併し、尋常小学鳴尾学校となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 1892年(明治25年)11月 -
- 尋常小学前浜学校が笠寺尋常小学校に改称する。校区は笠寺村。
- 尋常小学前浜学校から星崎尋常小学校が分離する。校区は星崎村。
- 尋常小学鳴尾学校が鳴尾尋常小学校に改称する。校区は鳴尾村の一部(荒井、牛毛、伝馬など)。
- 尋常小学鳴尾学校から源柴尋常小学校が分離する。校区は鳴尾村の一部(源兵衛、柴田など)。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 笠寺村、星崎村、鳴尾村が合併し、笠寺村となる。
- 1907年(明治40年)1月1日 - 笠寺尋常小学校、星崎尋常小学校、鳴尾尋常小学校、源柴尋常小学校を統合し、笠寺尋常小学校となる。
- 1909年(明治42年)11月 - 新校舎が完成する。
- 1917年(大正6年)4月1日 - 高等科を設置し、笠寺尋常高等小学校に改称する。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 笠寺村が名古屋市に編入され、名古屋市南区の一部となる。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 鳴尾分教場を設置する。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 青年訓練所を設置する。
- 1928年(昭和3年)3月 - 現在地の校舎が完成し、移転する。
- 1932年(昭和7年)1月 - 火災により校舎の一部を焼失する。
- 1935年(昭和10年)10月1日 - 青年学校を設置する。
- 1936年(昭和11年) - 校舎を増築する。
- 1938年(昭和13年)7月4日 - 鳴尾分教場が白水尋常小学校として独立する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 笠寺国民学校に改称する。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 4月1日 - 初等科を閉鎖する。
- 5月1日 - 初等科の閉鎖を解除する。残留児童のための分教場を設置する。
- 5月17日 - 空襲により校舎の大半を焼失する。
- 1947年(昭和22年)
- 3月15日 - 焼失した校舎を再建する。
- 4月1日 - 名古屋市立笠寺小学校に改称する。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 又兵ヱ分教場が名古屋市立大生小学校として独立する。
- 1949年(昭和24年)7月 - 校舎を増築する。
- 1962年(昭和37年)3月 - 校舎を増築する。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 星崎に分校を設置する。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 星崎の分校が名古屋市立星崎小学校として独立する。
- 1969年(昭和44年)3月 - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1971年(昭和46年)3月 - 校舎を増築する。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 芝町に分校を設置する。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 芝町の分校が名古屋市立笠東小学校として独立する。
- 1980年(昭和55年)3月 - 校舎を増築する。
- 1981年(昭和56年)3月 - 体育館が完成する。
交通アクセス
[編集]参考文献
[編集]- 名古屋市南区役所『区制七十周年記念 南区誌』1979年 pp.225-243
- 名古屋市立笠寺小学校『わたしたちの郷土 かさでら』1979年
- 名古屋市立笠寺小学校『名古屋市立笠寺小学校開校100周記念誌』2007年