名倉惣助
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名倉 惣助(なぐら そうすけ、生年不詳 - 弘治4年2月5日(1558年2月23日))は、戦国時代の武将。
名倉総助とも[1]。諱は不詳。
略歴
[編集]能見松平家松平重吉の家臣で重吉の次男松平般若助に仕えた [2]。弘治4年(1558年)2月5日、寺部城の戦いにおいて般若助と共に奮戦するも討死した [3] [1]。
脚注
[編集]- ^ a b 早稲田大学出版部 1912, p. 116.
- ^ 近藤活版所 1903, p. 811.
- ^ 栄進舎出版部 1917, p. 174.
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜第1輯』(栄進舎出版部、1917年、174p)
- 『通俗日本全史 第九巻』(早稲田大学出版部、1912年、116p)
- 『類聚名物考第1 巻』(近藤活版所、1903年、811p)