同志会 (公益財団法人)
同志会(どうしかい)は、東京都文京区西片に男子学生寮「同志会学生寮」を運営している公益財団法人。
概要
[編集]立教大学を苦学して卒業した聖公会のクリスチャン阪井徳太郎(1868-1954)は、1892年12月に米国に渡り、ニューヨーク州ホバート大学を卒業。その後ハーバード大学で神学を学び1898年にマスターの学位を得た。彼は1899年11月から半年に渡り、ボストンの富豪フランク・H・ビービー(Frank H Bebe)の随行秘書として欧州、アジアを歴訪し、1900年5月に日本に一時帰国した。この時、ビービーに祖国日本にキリスト教の精神に基づく学生寮を作る構想を伝え、彼の援助を得ることに成功した。ボストンに戻ってから彼は、ビービー他からの寄付集めに奔走し、当時の金額で5万ドルを集めて、1902年の早春に帰国した。34歳独身だった彼は、同年10月に本郷区(現・文京区)根津権現の裏手に同志会学生寮を建て、学生らとともにこの寮に起居した。
同志会学生寮は、寮生に「毎日の早天祈祷」、「金曜日の集会参加」、「日曜日の礼拝参加」の3ミニマム・デューティーを課すキリスト教主義の寮だった。また学生は東京大学の学生に限られ、寮生18名程度の小さな寮だった。その後寮は、1917年に現在の寮の所在地、本郷区西片町に移転した。この寮も、1967年6月に鉄筋の建物に建て替えられた。1階が学生寮、2階以上は一般住宅となり現在に至っている。
当初入寮生は東京大学学生に限られていたが、現在はどの大学の学生でも入寮できる(定員18名)。3ミニマム・デューティーの伝統は、114年を経た現在でも引き継がれている。
出身者
[編集]森和亮(新改訳聖書ペテロの手紙第一、第二翻訳者)、高畠靖(元日本聖公会聖アンデレ教会司祭)、小西芳之助(元高円寺東教会牧師)など様々な宗派の伝道者を輩出している。また、石館守三(ハンセン病治療薬プロミン、癌治療薬ナイトロジェンマスタードを開発した薬学者)も同志会の学生寮出身者であり理事長も務めた。辻壮一(音楽学者、社会事業家)、菊井維大(法学者、専門は民事訴訟法)、矢部貞治(政治学者、評論家、元拓殖大学総長)、長谷川才次(時事通信社初代社長)、宮崎章(外交官、オランダ大使、国連総会日本代表など歴任)、大塚久雄(経済史学者、文化勲章受章)、村上悠紀雄(化学者、元北里大学教授)、上野賢一(医学者、エッセイスト、元筑波大学医学部教授)、金井務(元日立製作所社長、会長)、實方謙二(法学者、専門は経済法、独占禁止法、元北海道大学教授)、日下公人(評論家、作家)その他多くの著名人を輩出している。