ジョニー吉長
表示
(吉長信樹から転送)
ジョニー吉長 | |
---|---|
出生名 | 吉長信喜 |
別名 |
ジョニー・レイズリー ジョニー・レイズ 吉長信樹 |
生誕 | 1949年3月21日 |
出身地 | 日本 福岡県 |
死没 | 2012年6月4日(63歳没) |
ジャンル | ロック |
職業 |
ドラマー 歌手 |
担当楽器 |
ドラムス 歌 |
活動期間 | 1965年 - 2012年 |
共同作業者 | ピンククラウドなど |
公式サイト | JOHNNY吉長 OFFCEAL SITE |
ジョニー 吉長(ジョニー よしなが、本名:吉長 信喜(よしなが のぶき)、1949年3月21日 - 2012年6月4日)は、日本のドラマー。福岡県小倉市(現北九州市小倉北区または小倉南区)出身。
略歴
[編集]元妻は歌手の金子マリ(1999年離婚)であり、金子マリと結婚していた当時は、私生児で無戸籍だったことから、金子姓を名乗っていた。息子は、ドラマー兼俳優の金子ノブアキとベーシストのKenKen。
俳優としてドラマ『二千年の恋』や映画『ラストシーン』、テレビコマーシャルやファッションショーにも出演した。
2012年6月4日、肺炎のため死去。63歳没[1]。
経歴
[編集]ミュージシャン
[編集]- 1965年、神戸でブルースロックバンド「ザ・チェックメイツ」にボーカルとして参加。(ジョニー・レイズリー名義)
- 1968年、東京へ移り、ジョー山中も在籍したバンド「カーニバルス」に加入。この時ドラムに転向する。(ジョニー・レイズ名義。1972年に解散)
- 1972年、バンド「イエロー」結成。
- 1973年、左とん平の、ミッキー・カーチスプロデュースの『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』でドラムを担当。人生初のレコーディング
- 1974年、泉谷しげるの『眠れない夜』でドラムを担当。演奏はイエロー。同曲はイエローもカバーしシングル盤をリリース
- 1975年、イエローは『yellow』、LIVE盤『Vibration』の2枚のアルバムをリリースし解散。アメリカ西海岸に渡る。
- 1977年、1stソロアルバム『ジョニー』をリリース。
- 1978年、Char、加部正義とともにバンド「ジョニー・ルイス&チャー」を結成。(1982年にピンククラウドと改名)
- 「金子マリ&バックスバニー」に2代目ドラマーとして参加。
- 1979年、金子マリ&バックスバニー解散。
- 4月、ソロアルバム『ジョニー・オン・マイ・マインド』をリリース。
- 10月、『スカイ・ジュース(ジョギング・スタッフ)』をリリース。
- 1994年、ソロアルバム『JRSM(ジュラズム)』をリリース。
- 1999年、ジョー山中と「JJプロジェクト」を結成。
- 2005年、ソロアルバム『Back on move』と、『Vintage』 (2CD+DVD)をリリース。
- 2007年
- 2008年、鮫島秀樹、西山毅と「J-N-S」としてライブ活動。
- 2009年、「座して還暦」と題し鮫島秀樹、原田喧太と還暦全国ツアーを行う。
- 2010年、活動の幅を広げ李世福コネクションへ参加。
俳優
[編集]- 2000年1月10日から3月20日、フジテレビ系月9ドラマ『二千年の恋』(中山美穂/金城武/主演)に金城武の父親役として出演。
- 2002年、映画「ラストシーン」では銀幕といわれた映画黄金期のスター俳優役として準主役を演じている。
- 2010年4月、代々木体育館にて開催された山本耀司のファッションショー「TOKYO DANDY」に参加。その様子がファッション情報誌「WWD」の表紙を飾る。
- 2011年10月18日から12月20日 NHKよる★ドラ『ビターシュガー』に土方役として出演。
- その他、テレビコマーシャルにも起用される。
脚注
[編集]- ^ “訃報:ジョニー吉長さん63歳=ロックドラマー”. 毎日新聞. (2012年6月4日). オリジナルの2012年7月11日時点におけるアーカイブ。 2012年6月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ^ “飯野矢住代誕生秘話「私にはジョニーが必要なの。ジョニーにも私が必要だと思うの」|芸能界と格闘技界 その深淵”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2021年9月15日). 2024年9月10日閲覧。
- ^ Idol.ne.jp (2022年6月27日). “飯野矢住代”. Idol.ne.jp. 2024年9月10日閲覧。