吉野岩畄吉
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吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、1906年3月8日 - 1954年1月30日)は、徳島県那賀郡見能林村(現在の阿南市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 留吉(たかしま とめきち)。最高位は西前頭5枚目(1933年5月場所)。身長173cm。体重82kg。
来歴
[編集]土地相撲で大関を務めていたことがきっかけで、幕下付出で初土俵を踏む。しかし負け越して翌場では序二段に降下する。その後着実に昇進し、1931年5月場所に十両に昇進するがすぐに陥落、1932年1月場所は幕下で迎えた。しかし、春秋園事件で出羽海部屋の関取のほとんどが脱退、穴埋めとして1932年2月場所の番付では十両に返り咲き、それをきっかけにして1933年1月場所で幕内昇進を果たした。幕内は連続5場所在位し、十両に落ちた1935年5月場所限りで廃業した。
廃業後は漁業に従事していたが、海難事故に遭い47歳で死去した。
略歴
[編集]主な成績
[編集]- 幕内戦績:22勝33敗(5場所)
四股名変遷
[編集]- 吉ノ石 留吉(よしのいわ とめきち)1926年1月場所 - 1932年10月場所
- 吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち)1933年1月場所 - 1935年5月場所