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吉見氏頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
吉見氏頼
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
別名 三郎[1]
戒名 道源[1]
官位 掃部助三河守右馬頭[1]
幕府 室町幕府 能登守護
主君 足利尊氏義詮義満
氏族 吉見氏
父母 吉見頼隆[1]
家貞詮頼
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吉見 氏頼(よしみ うじより)は、南北朝時代武将

略歴

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北陸の北朝方勢力として南朝方桃井直常直信らと能登国越中国でしばしば戦う[1]

観応の擾乱では足利尊氏に属した[1]正平3年/貞和4年(1348年)頃、父・吉見頼隆の跡を継ぎ能登守護となり、正平7年/文和元年(1352年)再び復帰し、天授5年/康暦元年(1379年)まで在任する[1]建徳元年/応安3年(1370年今川貞世に代わり室町幕府引付頭人となった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.644(1985)