吉良義郷
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天文9年(1540年) |
戒名 | 寶樹寺殿奇山敏勝大禅定門 |
氏族 | 吉良氏 |
父母 | 父:吉良義堯 |
兄弟 | 義郷、義安、義昭 |
吉良 義郷(きら よしさと、? - 天文9年(1540年)[1])は、戦国時代の武将。三河西条吉良氏。仮名は三郎。左兵衛佐の官職を僭称した。母は後藤平大夫の娘。義安、義昭は弟にあたる。
生涯
[編集]西条城主吉良氏の吉良義堯の長男として生まれる。
父義堯の跡を継いで西条吉良氏の当主となったが、天文9年(1540年)[注 1]戦死した[1][注 2]。尾張の織田信秀と戦い、戦死した可能性が高いと言われる[1][注 3]。義郷の死後、弟の義安が家督を継いだ。
法名は寶樹寺殿奇山敏勝大禅定門。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 谷口雄太『足利将軍と御三家 吉良・石橋・渋川氏』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー559〉、2022年11月1日、118頁。ISBN 978-4-642-05959-6。
- ^ 小林輝久彦「天文・弘治年間の三河吉良氏」『安城市歴史博物館研究紀要』12号、2012年。/所収:大石泰史 編『今川義元』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻〉、2019年6月、248-251頁。ISBN 978-4-86403-325-1。
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