吉田弘 (陸軍軍人)
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吉田 弘 | |
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生誕 |
1887年11月23日 日本 岐阜県 |
死没 | 1949年11月6日(61歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1909年 - 1940年 1941年 - 1942年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
吉田 弘(よしだ ひろし、1887年(明治20年)11月23日[1] - 1949年(昭和24年)11月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に岐阜県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[1]。1937年(昭和12年)3月1日、陸軍歩兵大佐進級と同時に第20師団司令部附となり[2]、7月12日に留守第20師団司令部附(朝鮮軍[3][4])となった[2]。1938年(昭和13年)7月に歩兵第65連隊長(第11軍・第13師団・歩兵第103旅団[1])に就任し[2]、日中戦争に出動して各種作戦を指揮した[1]。
1939年(昭和14年)10月2日、陸軍少将進級と同時に歩兵第33旅団長(第11師団[5][6])に着任し[1][2]、1940年(昭和15年)8月1日に待命となり[2]、8月31日に予備役に編入された[1]。1941年(昭和16年)10月に召集され、留守第3師団兵務部長(中部軍[7])に就任し[1]、1942年(昭和17年)11月まで在任した[7]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、岐阜連隊区司令官兼岐阜地区司令官に就任した[8]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[9]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 794頁.
- ^ a b c d e f 外山 1981, 269頁.
- ^ 外山・森松 1987, 561頁.
- ^ 外山・森松 1987, 563頁.
- ^ 外山・森松 1987, 506頁.
- ^ 外山・森松 1987, 507頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 734頁.
- ^ 「第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」194頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。