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吉田ふじを

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田ふじを。ボストン美術館の展覧会にて。

吉田 ふじを(よしだ ふじを、1887年10月5日 - 1987年5月1日)は、日本洋画家[1][2]吉田博の妻であり、夫婦ともに洋画家である。

人物

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洋画家である吉田嘉三郎と、その妻の吉田るい英語版の三女。小学生の頃に上京し、11歳で小山正太郎の画塾不同舎に入門[3]。当時はまだ義兄であった吉田博とともに1903年にアメリカへ渡り、ともに展覧会を開いたことでアメリカ各地で高評価を得た。1907年文展に入選している。帰国後は、文展や太平洋画会、日本初の女性による洋画団体「朱葉会」などで活躍し、朱葉会では名誉会長を務めた。戦後には油彩画木版画なども描き、を題材とした作品などを生み出した。2002年府中市美術館で「吉田ふじを展」が開催され[2]、翌年には福岡市美術館でも同じ展覧会名の展覧会が開かれた[3]

脚注

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  1. ^ 吉田ふじを :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2020年12月8日閲覧。
  2. ^ a b 吉田 ふじを”. www.inoha.net. 2020年12月8日閲覧。
  3. ^ a b 20世紀を生きた陽光の画家 吉田ふじを展”. 2020年12月8日閲覧。