吉岡康弘
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吉岡 康弘(よしおか やすひろ、1934年4月11日[1] - 2002年4月17日)は、岡山県出身の映画撮影監督、写真家。大島渚監督の「絞死刑」や勅使河原宏監督作品などで撮影監督を担当した。
1961年、読売アンデパンダン展に出品した写真作品が「ワイセツ」との理由で開催4日目にして撤去された(『獣愛』参照)。吉岡康弘はそれに抗議するかたちで、その撤去された作品を主にした写真集『吉岡康弘作品集』を自費出版した(1962年)。DM方式で販売されたがほとんど売れず、お茶の水駅近くの喫茶店ジローで写真展及び写真集の即売会を催した。しかし即座にワイセツ物陳列罪で、アンデパンダン展同様の憂き目となってしまった。中原佑介、滝口修造、黛敏郎、安部公房、勅使河原宏、石元泰博によるテキストが寄せられている(書肆小笠原のサイト参照)。
1972年、平岡正明主宰「犯罪者同盟」機関誌「赤い風船あるいは牝狼の夜』(宮原安春編、前夜社)に収録した吉岡康弘撮影の無修正ヌード写真が問題となり、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から指名手配を受けたが、不起訴。
「工藤哲巳・吉岡康弘 岡山の生んだ異才とその周辺」展が開催された(1975年、岡山[1])。
スチール写真
[編集]- 『砂の女』安部公房原作・脚本、勅使河原宏監督、1964年
- 『他人の顔』安部公房原作・脚本、勅使河原宏監督、1966年
- 『怪談』小泉八雲原作、小林正樹監督、1965年
- 『悦楽』山田風太郎原作、大島渚監督、1965年
- 『白昼の通り魔』武田泰淳原作、大島渚監督、1966年
- 『日本春歌考』大島渚監督、1967年
映画撮影
[編集]- 『無理心中日本の夏』大島渚監督、1967年
- 『絞死刑』大島渚監督、1968年
- 『帰って来たヨッパライ』大島渚監督、1968年
- 『新宿泥棒日記』大島渚監督、1969年
- 『少年』大島渚監督、1969年
- 『男一匹ガキ大将』村野鉄太郎監督、1971年
- 『夏の妹』大島渚監督、1972年
- 『鬼の詩』村野鉄太郎監督、1975年
- 『遠野物語』村野鉄太郎監督、1982年
- 『国東物語』村野鉄太郎監督、1985年
- 『上方苦界草紙』村野鉄太郎監督、1991年
主要作品集・著作
[編集]- 『吉岡康弘作品集』私家版、1962年
- 「獣愛 第三のヴィナス』構成・装幀:杉浦康平、序文:加藤郁乎 (綜合図書、1971年)
- 『アヴァンギャルド60’s (フォト・ミュゼ)』(新潮社、1999年)
- 小説『ロンバルディアの歌』(ワイズ出版、2008年)
文献
[編集]- 『書を捨てよ、町へ出よう』寺山修司著、イラスト:横尾忠則、写真:吉岡康弘(初版:芳賀書店、1967年)
- 「赤い風船あるいは牝狼の夜』吉岡康弘、赤瀬川原平他 (宮原安春編、前夜社、1972年)
- 『六月の風』172号(2002年6月)『特集:60年代前衛の友情 吉岡康弘の死に』