吉家敬三
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吉家 敬三(よしいえ けいぞう、明治16年(1883年)2月12日 - 没年不明)は日本の実業家。元鴨川化工会長。
父吉家捨蔵は長野県多額納税者で農業を営んだ[1]。長男光夫の妻道子は王子製紙社長、日本商工会議所会頭などを歴任した足立正の三女。
経歴
[編集]長野県上高井郡小布施村(現小布施町)に生まれた。吉家捨蔵の長男。
明治38年(1905年)早稲田大学専門部法律科修了。大正5年(1916年)亀井染料に入り大正15年(1926年)満州鉱山薬社長に就任し後南満火工品社長を兼ね昭和16年(1941年)鴨川ニッケル(後の鴨川化工)会長に挙げられた。
家族 親族
[編集]- 長男 光夫
- 二男 英夫
参考文献
[編集]- 『第十六版 人事興信録 下』(昭和26年)よ10頁
- 鈴木幸夫 『閨閥(けいばつ) 結婚で固められる日本の支配者集団』 光文社 1965年 119頁
- 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 335頁
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録. 第8版』(昭和3年)ヨ二二